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第十四帖 澪標

光る源氏の二十八歳初冬十月から二十九歳冬まで内大臣時代の物語

第一章 光る源氏の物語 光る源氏の政界領導と御世替わり

第一段 故桐壺院の追善法華御八講

 さやかに見えたまひし夢の後は、院の帝の御ことを心にかけきこえたまひて、「いかで、かの沈みたまふらむ罪、救ひたてまつることをせむ」と、思し嘆きけるを、かく帰りたまひては、その御急ぎしたまふ。神無月に御八講したまふ。世の人なびき仕うまつること、昔のやうなり。

  Sayaka ni miye tamahi si yume no noti ha, Win-no-Mikado no ohom-koto wo kokoro ni kake kikoye tamahi te, "Ikade, kano sidumi tamahu ram tumi, sukuhi tatematuru koto wo se m." to, obosi nageki keru wo, kaku kaheri tamahi te ha, sono ohom-isogi si tamahu. Kamnaduki ni mi-ha'kau si tamahu. Yo no hito nabiki tukaumaturu koto, mukasi no yau nari.

 はっきりとお見えになった夢の後は、院の帝の御ことを心にお掛け申し上げになって、「何とか、あの沈んでいらっしゃるという罪、お救い申すことをしたい」と、お嘆きになっていらしたが、このようにお帰りになってからは、そのご準備をなさる。神無月に御八講をお催しになる。世間の人が追従し奉仕すること、昔と同じようである。

 須磨すまの夜の源氏の夢にまざまざとお姿をお現わしになって以来、父帝のことで痛心していた源氏は、帰京ができた今日になってその御菩提ごぼだいを早く弔いたいと仕度したくをしていた。そして十月に法華経ほけきょうの八講が催されたのである。参列者の多く集まって来ることは昔のそうした場合のとおりであった。

1 さやかに見えたまひし夢の後は 源氏、政界に復帰し、院の追善法華八講を催す。

2 いかでかの沈みたまふらむ 大島本は「しつミたまえむ」とある。『集成』『新大系』『古典セレクション』は諸本に従って「沈みたまふらむ」と校訂する。以下「救ひたてまつることをせむ」まで、源氏の心中。「らむ」推量の助動詞、視界外推量。「明石」巻で「われは、位にありし時」云々と源氏に語ったことをふまえる。『集成』は「院が苦しんでいらっしゃるという」と訳す。

 大后、御悩み重くおはしますうちにも、「つひにこの人をえ消たずなりなむこと」と、心病み思しけれど、帝は院の御遺言を思ひきこえたまふ。ものの報いありぬべく思しけるを、直し立てたまひて、御心地涼しくなむ思しける。時々おこり悩ませたまひし御目も、さはやぎたまひぬれど、「おほかた世にえ長くあるまじう、心細きこと」とのみ、久しからぬことを思しつつ、常に召しありて、源氏の君は参りたまふ。世の中のことなども、隔てなくのたまはせつつ、御本意のやうなれば、おほかたの世の人も、あいなく、うれしきことに喜びきこえける。

  Ohokisaki, ohom-nayami omoku ohasimasu uti ni mo, "Tuhini kono hito wo e keta zu nari na m koto." to, kokoroyami obosi kere do, Mikado ha Win no go-yuigon wo omohi kikoye tamahu. Mono no mukuyi ari nu beku obosi keru wo, nahosi tate tamahi te, mikokoti suzusiku nam obosi keru. Tokidoki okori nayama se tamahi si ohom-me mo, sahayagi tamahi nure do, "Ohokata yo ni e nagaku aru maziu, kokorobosoki koto." to nomi, hisasikara nu koto wo obosi tutu, tuneni mesi ari te, Genzi-no-Kimi ha mawiri tamahu. Yononaka no koto nado mo, hedate naku notamaha se tutu, ohom-ho'i no yau nare ba, ohokata no yo no hito mo, ainaku, uresiki koto ni yorokobi kikoye keru.

 皇太后、御病気が重くいらっしゃる間でも、「とうとうこの人を失脚させないで終わってしまうことよ」と、悔しくお思いになったが、帝は故院の御遺言をお考えあそばす。きっと何かの報いがあるにちがいないとお思いになったが、復位おさせになって、御気分がすがすがしくなるのであった。時々眼病が起こってお悩みあそばした御目も、さわやかにおなりになったが、「おおよそ長生きできそうになく、心細いことだ」とばかり、長くないことをお考えになりながら、いつもお召しがあって、源氏の君は参内なさる。政治の事なども、隔意なく仰せになり仰せになっては、御本意のようなので、世間一般の人々も、関係なくも、嬉しいこととお喜び申し上げるのであった。

 今日も重く煩っておいでになる太后は、その中ででも源氏を不運に落としおおせなかったことを口惜くちおしく思召おぼしめすのであったが、みかどは院の御遺言をお思いになって、当時も報いが御自身の上へ落ちてくるような恐れをお感じになったのであるから、このごろはお心持ちがきわめて明るくおなりあそばされた。時々はげしくお煩いになった御眼疾も快くおなりになったのであるが、短命でお終わりになるような予感があってお心細いためによく源氏をお召しになった。政治についても隔てのない進言をお聞きになることができて、一般の人も源氏の意見が多く採用される宮廷の現状を喜んでいた。

3 つひにこの人を 以下「なりなむこと」まで、弘徽殿大后の心中。「なむ」連語、完了の助動詞「な」確述、「む」推量の助動詞、推量の意味を強調確述する。--してしまうのだろう。『完訳』の「とうとうこの君を圧さえきることができないでしまったのかと」は、むしろ「ぬる」の本文に近い訳文。

4 おほかた世にえ長く 以下「心細きこと」まで、帝の心中。「世」は寿命をさす。

5 久しからぬことを 寿命と在位の解釈がある。『集成』は「お命の長かぬことを」。『完訳』は「御位にも久しくおとどまりにはなれまいと」と訳す。二者択一的な理解でなく両義を併せ読んでよいだろう。

6 思しつつ 「つつ」接尾語、同じ動作の繰返し。お考えになりお考えになっては。

第二段 朱雀帝と源氏の朧月夜尚侍をめぐる確執

 下りゐなむの御心づかひ近くなりぬるにも、尚侍、心細げに世を思ひ嘆きたまひつる、いとあはれに思されけり。

  Oriwi na m no mikokorodukahi tikaku nari nuru nimo, Naisi-no-Kami, kokorobosoge ni yo wo omohi nageki tamahi turu, ito ahare ni obosa re keri.

 御譲位なさろうとの御配慮が近くなったのにつけても、尚侍の君、心細げに身の上を嘆いていらっしゃるのが、とてもお気の毒に思し召されるのであった。

 帝は近く御遜位ごそんい思召おぼしめしがあるのであるが、尚侍ないしのかみがたよりないふうに見えるのをあわれに思召した。

7 下りゐなむの御心づかひ 「なむ」連語、「な」完了の助動詞、確述。「む」推量の助動詞。御譲位なさってしまおうとの御配慮。

8 尚侍 朧月夜尚侍。朱雀帝の後宮の尚侍。定員二名のうちの実質的な帝の御妻。もう一人は実務官。

9 世を思ひ嘆きたまひつる 大島本は「なけき給つる」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「たまへる」と校訂する。「世」は人生、身の上をさす。

10 いとあはれに思されけり 主語は帝。「れ」自発の助動詞。帝は朧月夜をとても不憫なと思わずにはいらっしゃれないのだった。

 「大臣亡せたまひ、大宮も頼もしげなくのみ篤いたまへるに、我が世残り少なき心地するになむ、いといとほしう、名残なきさまにてとまりたまはむとすらむ。昔より、人には思ひ落としたまへれど、みづからの心ざしのまたなきならひに、ただ御ことのみなむ、あはれにおぼえける。立ちまさる人、また御本意ありて見たまふとも、おろかならぬ心ざしはしも、なずらはざらむと思ふさへこそ、心苦しけれ」

  "Otodo use tamahi, Ohomiya mo tanomosige naku nomi atui tamahe ru ni, waga yo nokori sukunaki kokoti suru ni nam, ito itohosiu, nagori naki sama nite tomari tamaha m to su ram. Mukasi yori, hito ni ha omohi otosi tamahe re do, midukara no kokorozasi no mata naki narahi ni, tada ohom-koto nomi nam, ahare ni oboye keru. Tatimasaru hito, mata ohom-ho'i ari te mi tamahu tomo, oroka nara nu kokorozasi ha simo, nazuraha zara m to omohu sahe koso, kokorogurusikere."

 「大臣がお亡くなりになり、大宮も頼りなくばかりいらっしゃる上に、わたしの寿命までが長くないような気がするので、とてもお気の毒に、かつてとすっかり変わった状態で後に残されることでしょう。以前から、あの人より軽く思っておいでですが、わたしの愛情はずっと他の誰よりも深いものですから、ただあなたのことだけを、愛しく思い続けてきたのでした。わたし以上の人が、再び望み通りになってご結婚なさっても、並々ならぬ愛情だけは、及ばないだろうと思うのさえ、たまらないのです」

 「大臣はくなるし、大宮も始終お悪いのに、私さえも余命がないような気がしているのだから、だれの保護も受けられないあなたは、孤独になってどうなるだろうと心配する。初めからあなたの愛はほかの人に向かっていて、私を何とも思っていないのだが、私はだれよりもあなたが好きなのだから、あなたのことばかりがこんな時にも思われる。私よりも優越者がまたあなたと恋愛生活をしても、私ほどにはあなたを思ってはくれないことはないかと、私はそんなことまでも考えてあなたのために泣かれるのだ」

11 大臣亡せたまひ 以下「心苦しけれ」まで、朱雀帝の朧月夜への詞。

12 我が世残り少なき心地するになむ 「世」は寿命。「なむ」係助詞、「いといとほしう」に係るが、結びの流れで、下文に続く。帝の譲位後は、帝の内侍(御妻)としての待遇からうって変わった境遇、臣下の一人としてのような。

13 とまりたまはむとすらむ 「む」推量の助動詞、推量また意志とも。「らむ」推量の助動詞、視界外推量。生きておいでになろうとするのであろう。朧月夜の将来に対する気づかいとともに生い先短いと自覚する帝の僻みが感じられる言い方。

14 人には思ひ落としたまへれど 「人」は源氏を暗示した言い方。主語はあなた(朧月夜)。あなたはわたしのことを源氏より軽んじていらっしゃるが。

15 みづからの心ざしのまたなきならひに 『集成』は「私の方は誰にも劣らぬ深い愛情が身にしみてしまっていて」。『完訳』は「わたし自身の気持は一貫して誰にも劣るものではないのですから」と訳す。

16 立ちまさる人 源氏をさしていう。

 とて、うち泣きたまふ。

  tote, uti-naki tamahu.

 と言って、お泣きあそばす。

 帝は泣いておいでになった。

 女君、顔はいと赤く匂ひて、こぼるばかりの御愛敬にて、涙もこぼれぬるを、よろづの罪忘れて、あはれにらうたしと御覧ぜらる。

  Womnagimi, kaho ha ito akaku nihohi te, koboru bakari no ohom-aigyau nite, namida mo kobore nuru wo, yorodu no tumi wasure te, ahare ni rautasi to goranze raru.

 女君、顔は赤くそまって、こぼれるばかりのお美しさで、涙もこぼれたのを、一切の過失を忘れて、しみじみと愛しい、と御覧にならずにはいらっしゃれない。

 羞恥しゅうちほおを染めているためにいっそうはなやかに、愛嬌あいきょうがこぼれるように見える尚侍も涙を流しているのを御覧になると、どんな罪も許すに余りあるように思召されて、御愛情がそのほうへ傾くばかりであった。

17 よろづの罪忘れて 帝は美しい朧月夜の顔から涙のこぼれるのを見て、すべての過失を許す気持ちになる。

18 御覧ぜらる 「らる」自発の助動詞。御覧にならずにいられない。

 「などか、御子をだに持たまへるまじき。口惜しうもあるかな。契り深き人のためには、今見出でたまひてむと思ふも、口惜しや。限りあれば、ただ人にてぞ見たまはむかし」

  "Nadoka, miko wo dani mo' tamahe ru maziki? Kutiwosiu mo aru kana! Tigiri hukaki hito no tame ni ha, ima miide tamahi te m to omohu mo, kutiwosi ya! Kagiri are ba, tadaudo nite zo mi tamaha m kasi."

 「どうして、せめて御子だけでも生まれなかったのだろうか。残念なことよ。ご縁の深いあの方のためでしたら、今すぐにでもお生みになるだろうと思うにつけても、たまらないことよ。身分に限りがあるので、臣下としてお育てになるのだろうね」

 「なぜあなたに子供ができないのだろう。残念だね。前生の縁の深い人とあなたの中にはすぐにまたそのよろこびをする日もあるだろうと思うとくやしい。それでも気の毒だね、親王を生むのでないから」

19 などか御子をだに持たまへるまじき 以下「見たまはむかし」まで、帝の詞。「だに」副助詞、最低限の希望。せめて--だけでも。「も」副助詞、強調。「たまへ」は「与える」の尊敬語。「る」完了の助動詞。「まじき」打消推量の助動詞、係結びで、連体形。朧月夜との間に子供の出来なかった恨み言をいう。『集成』は「どうして、せめて御子だけでもお産みでなかったのでしょうか」。『完訳』は「どうして、せめてわたしの御子だけでもお産みになろうとしなかったのです」は、意志の打消推量に解す。

20 契り深き人のためには今見出でたまひてむ 前世からの契りの浅い深いによって子供も生まれたり生まれなかったりするというのが、当時の考え方。「契り深き人」は源氏をさした言い方。「てむ」連語、「て」完了の助動詞、連用形、確述、「む」推量の助動詞。当然そうなろうという推量の強調。

21 限りあれば 身分に規定がある。源氏は臣下で、皇族すなわち皇位継承者でないからの意。

 など、行く末のことをさへのたまはするに、いと恥づかしうも悲しうもおぼえたまふ。御容貌など、なまめかしうきよらにて、限りなき御心ざしの年月に添ふやうにもてなさせたまふに、めでたき人なれど、さしも思ひたまへらざりしけしき、心ばへなど、もの思ひ知られたまふままに、「などて、わが心の若くいはけなきにまかせて、さる騷ぎをさへ引き出でて、わが名をばさらにもいはず、人の御ためさへ」など思し出づるに、いと憂き御身なり。

  nado, yukusuwe no koto wo sahe notamaha suru ni, ito hadukasiu mo kanasiu mo oboye tamahu. Ohom-katati nado, namamekasiu kiyora nite, kagiri naki mikokorozasi no tosituki ni sohu yau ni motenasa se tamahu ni, medetaki hito nare do, sasimo omohi tamahe ra zari si kesiki, kokorobahe nado, monoomohi sira re tamahu mama ni, "Nado te, waga kokoro no wakaku ihakenaki ni makase te, saru sawagi wo sahe hikiide te, waga na wo ba sarani mo iha zu, hito no ohom-tame sahe." nado obosi iduru ni, ito uki ohom-mi nari.

 などと、先々のことまで仰せになるので、とても恥ずかしくも悲しくもお思いになる。お顔など、優雅で美しくて、この上ない御愛情が年月とともに深まってお扱いあそばすので、素晴らしい方であるが、それほど深く愛してくださらなかった様子、気持ちなど、自然と物事がお分かりになってくるにつれて、「どうして自分の思慮の若く未熟なのにまかせて、あのような事件まで引き起こして、自分の名はいうまでもなく、あの方のためにさえ」などとお思い出しになると、まことにつらいお身の上である。

 こんな未来のことまでも仰せになるので、恥ずかしい心がしまいには悲しくばかりなった。帝は御容姿もおきれいで、深く尚侍をお愛しになる御心は年月とともに顕著になるのを、尚侍は知っていて、源氏はすぐれた男であるが、自分を思う愛はこれほどのものでなかったということもようやく悟ることができてきては、若い無分別さからあの大事件までも引き起こし、自分の名誉を傷つけたことはもとより、あの人にも苦労をさせることになったとも思われて、それも皆自分が薄倖はっこうな女だからであるとも悲しんでいた。

22 いと恥づかしうも悲しうもおぼえたまふ 主語は朧月夜。「恥づかし」「悲し」ともに含蓄のある言葉で、その内様は読者の想像に委ねた表現。

23 めでたき人なれど 源氏をさす。以下、朧月夜の心に即した表現。

24 などてわが心の 以下「人の御ためさへ」まで、朧月夜の心中。

25 いと憂き御身なり 集成「朧月夜の思いと草子地が一体になった文章」、完訳「悲運の女君として語り収める」。

第三段 東宮の御元服と御世替わり

 明くる年の如月に、春宮の御元服のことあり。十一になりたまへど、ほどより大きに、おとなしうきよらにて、ただ源氏の大納言の御顔を二つに写したらむやうに見えたまふ。いとまばゆきまで光りあひたまへるを、世人めでたきものに聞こゆれど、母宮、いみじうかたはらいたきことに、あいなく御心を尽くしたまふ。

  Akurutosi no Kisaragi ni, Touguu no go-genbuku no koto ari. Zihuiti ni nari tamahe do, hodo yori ohoki ni, otonasiu kiyora nite, tada Genzi-no-Dainagon no ohom-kaho wo hutatu ni utusi tara m yau ni miye tamahu. Ito mabayuki made hikari ahi tamahe ru wo, yohito medetaki mono ni kikoyure do, Hahamiya, imiziu kataharaitaki koto ni, ainaku mikokoro wo tukusi tamahu.

 翌年の二月に、東宮の御元服の儀式がある。十一歳におなりだが、年齢以上に大きくおとならしく美しくて、まるで源氏の大納言のお顔をもう一つ写したようにお見えになる。たいそう眩しいまでに光り輝き合っていらっしゃるのを、世間の人々は素晴らしいこととお噂申し上げるが、母宮は、たいそうはらはらなさって、どうにもならないことにお心をお痛めになる。

 翌年の二月に東宮の御元服があった。十二でおありになるのであるが、御年齢のわりには御大人おんおとならしくて、おきれいで、ただ源氏の大納言の顔が二つできたようにお見えになった。まぶしいほどの美を備えておいでになるのを、世間ではおほめしているが、母宮はそれを人知れず苦労にしておいでになった。

26 明くる年の如月に春宮の御元服のことあり 源氏二十九歳、春二月。春宮、元服し冷泉帝として即位する。
【御元服】-「ゲンブク」(伊京集・日葡辞書)

27 母宮 大島本は「はゝ宮」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「母君は」と「は」を補訂する。

 内裏にも、めでたしと見たてまつりたまひて、世の中譲りきこえたまふべきことなど、なつかしう聞こえ知らせたまふ。

  Uti ni mo, medetasi to mi tatematuri tamahi te, yononaka yuduri kikoye tamahu beki koto nado, natukasiu kikoye sirase tamahu.

 主上におかれても、御立派だと拝しあそばして、御位をお譲り申し上げなさる旨などを、やさしくお話し申し上げあそばす。

 帝も東宮のごりっぱでおありになることに御満足をあそばして御即位後のことをなつかしい御様子でお教えあそばした。

 同じ月の二十余日、御国譲りのことにはかなれば、大后思しあわてたり。

  Onazi tuki no nizihuyoniti, mi-kuniyuduri no koto nihaka nare ba, Ohokisaki obosi awate tari.

 同じ月の二十日過ぎ、御譲位の事が急だったので、大后はおあわてになった。

 この同じ月の二十幾日に譲位のことが行なわれた。太后はお驚きになった。

 「かひなきさまながらも、心のどかに御覧ぜらるべきことを思ふなり」

  "Kahinaki sama nagara mo, kokoro nodoka ni goranze raru beki koto wo omohu nari."

 「何の見栄えもしない身の上となりますが、ゆっくりとお目にかからせていただくことを考えているのです」

 「ふがいなく思召すでしょうが、私はこうして静かにあなたへ御孝養がしたいのです」

28 かひなきさまながらも 以下「思ふなり」まで、朱雀帝の詞。

29 心のどかに御覧ぜらるべきことを思ふなり 「御覧ぜ」の主語は弘徽殿大后。「らる」受身の助動詞。朱雀帝が母弘徽殿大后から「御覧ぜ」られるの意。「べき」推量の助動詞、可能。「なり」断定の助動詞。

 とぞ、聞こえ慰めたまひける。

  to zo, kikoye nagusame tamahi keru.

 といって、お慰め申し上げあそばすのであった。

 と帝はお慰めになったのであった。

 坊には承香殿の皇子ゐたまひぬ。世の中改まりて、引き変へ今めかしきことども多かり。源氏の大納言、内大臣になりたまひぬ。数定まりて、くつろぐ所もなかりければ、加はりたまふなりけり。

  Bau ni ha Sokyauden-no-Miko wi tamahi nu. Yononaka aratamari te, hikikahe imamekasiki koto-domo ohokari. Genzi-no-Dainagon, Naidaizin ni nari tamahi nu. Kazu sadamari te, kuturogu tokoro mo nakari kere ba, kuhahari tamahu nari keri.

 東宮坊には承香殿の皇子がお立ちになった。世の中が一変して、うって変わってはなやかなことが多くなった。源氏の大納言は、内大臣におなりになった。席がふさがって余裕がなかったので、員外の大臣としてお加わりになったのであった。

 東宮には承香殿じょうきょうでん女御にょごのお生みした皇子がお立ちになった。

30 承香殿の皇子 「承香殿 ショウキャウ(デン)」(黒川本色葉字類抄)

31 数定まりてくつろぐ所もなかりければ 左右大臣、定員各一名がふさがっていて、大臣になる余裕がなかったので。

 やがて世の政事をしたまふべきなれど、「さやうの事しげき職には堪へずなむ」とて、致仕の大臣、摂政したまふべきよし、譲りきこえたまふ。

  Yagate yo no maturigoto wo si tamahu beki nare do, "Sayau no koto sigeki soku ni ha tahe zu nam." tote, Tizi-no-Otodo, se'ssyau si tamahu beki yosi, yuduri kikoye tamahu.

 ただちに政治をお執りになるはずであるが、「そのようないそがしい職務には耐えられない」と言って、致仕の大臣に、摂政をなさるように、お譲り申し上げなさる。

 すべてのことに新しい御代みよの光の見える日になった。見聞きするに耳にはなやかな気分の味わわれることが多かった。源氏の大納言は内大臣になった。左右の大臣の席がふさがっていたからである。そして摂政せっしょうにこの人がなることも当然のことと思われていたが、「私はそんな忙しい職に堪えられない」と言って、致仕ちしの左大臣に摂政を譲った。

32 さやうの事しげき職には堪へずなむ 源氏の詞。

 「病によりて、位を返したてまつりてしを、いよいよ老のつもり添ひて、さかしきことはべらじ」

  "Yamahi ni yori te, kurawi wo kahesi tatematuri te si wo, iyoiyo oyi no tumori sohi te, sakasiki koto habera zi."

 「病気を理由にして官職をお返し申し上げたのに、ますます老齢を重ねて、立派な政務はできますまい」

 「私は病気によっていったん職をお返しした人間なのですから、今日はまして年も老いてしまったし、そうした重任に当たることなどはだめです」

33 病によりて 以下「ことはべらじ」まで、致仕大臣の詞。

 と、受けひき申したまはず。「人の国にも、こと移り世の中定まらぬ折は、深き山に跡を絶えたる人だにも、治まれる世には、白髪も恥ぢず出で仕へけるをこそ、まことの聖にはしけれ。病に沈みて、返し申したまひける位を、世の中変はりてまた改めたまはむに、さらに咎あるまじう」、公、私定めらる。さる例もありければ、すまひ果てたまはで、太政大臣になりたまふ。御年も六十三にぞなりたまふ。

  to, ukehiki mausi tamaha zu. "Hitonokuni ni mo, koto uturi yononaka sadamara nu wori ha, hukaki yama ni ato wo taye taru hito dani mo, wosamare ru yo ni ha, sirokami mo hadi zu ide tukahe keru wo koso, makoto no hiziri ni ha si kere. Yamahi ni sidumi te, kahesi mausi tamahi keru kurawi wo, yononaka kahari te mata aratame tamaha m ni, sarani toga aru maziu", ohoyake, watakusi sadame raru. Saru tamesi mo ari kere ba, sumahi hate tamaha de, Daizyaudaizin ni nari tamahu. Ohom-tosi mo rokuzihusam ni zo nari tamahu.

 と、ご承諾なさらない。「外国でも、事変が起こり国政が不穏な時は、深山に身を隠してしまった人でさえも、平和な世には、白髪になったのも恥じず進んでお仕えする人を、本当の聖人だと言っていた。病に沈んで、お返し申された官職を、世の中が変わって再びご就任なさるのに、何の差支えもない」と、朝廷、世間ともに決定される。そうした先例もあったので、辞退しきれず、太政大臣におなりになる。お歳も六十三におなりである。

 と大臣は言って引き受けない。「支那しなでも政界の混沌こんとんとしている時代は退しりぞいて隠者になっている人も治世の君がお決まりになれば、白髪も恥じずお仕えに出て来るような人をほんとうの聖人だと言ってほめています。御病気で御辞退になった位を次の天子の御代に改めて頂戴ちょうだいすることはさしつかえがありませんよ」と源氏も、公人として私人として忠告した。大臣も断わり切れずに太政大臣になった。年は六十三であった。

34 人の国にもこと移り 以下「咎あるまじう」まで、世間の風評を間接的に叙述。引用句がなく地の文に続く。中国の漢の時代の四晧の故事を引用する。

35 公私定めらる 「らる」受身の助動詞、決定される。『集成』は「朝廷の会議の席でも、個人の間のお話でも、ご決着がついた」。『完訳』は「朝廷でも世間でもそうしたご沙汰である」と訳す。

36 御年も六十三にぞなりたまふ 藤原良房が貞観八年(八六六)に六十三歳で摂政になった例がある。

 世の中すさまじきにより、かつは籠もりゐたまひしを、とりかへし花やぎたまへば、御子どもなど沈むやうにものしたまへるを、皆浮かびたまふ。とりわきて、宰相中将、権中納言になりたまふ。かの四の君の御腹の姫君、十二になりたまふを、内裏に参らせむとかしづきたまふ。かの「高砂」歌ひし君も、かうぶりせさせて、いと思ふさまなり。腹々に御子どもいとあまた次々に生ひ出でつつ、にぎははしげなるを、源氏の大臣は羨みたまふ。

  Yononaka susamaziki ni yori, katuha komoriwi tamahi si wo, torikahesi hanayagi tamahe ba, Miko-domo nado sidumu yau ni monosi tamahe ru wo, mina ukabi tamahu. Toriwaki te, Saisyau-no-Tyuuzyau, Gon-no-Tyuunagon ni nari tamahu. Kano Si-no-Kimi no ohom-hara no Himegimi, zihuni ni nari tamahu wo, Uti ni mawira se m to kasiduki tamahu. Kano Takasago utahi si kimi mo, kauburi se sase te, ito omohu sama nari. Harabara ni Miko-domo ito amata tugitugi ni ohi ide tutu, nigihahasige naru wo, Genzi-no-Otodo ha urayami tamahu.

 世の中がおもしろくなかったことにより、それが一つの理由で隠居していらしたのだが、また元のように盛んになられたので、ご子息たちなども不遇な様子でいらしたが、皆よくおなりになる。とりわけて、宰相中将は、権中納言におなりになる。あの四の君腹の姫君、十二歳におなりになるのを、帝に入内させようと大切にお世話なさる。あの「高砂」を謡った君も、元服させて、たいそう思いのままである。ご夫人方にご子息方がとてもおおぜい次々とお育ちになって、にぎやかそうなのを、源氏の内大臣は、羨ましくお思いになる。

 事実は先朝に権力をふるった人たちに飽き足りないところがあって引きこもっていたのであるから、この人に栄えの春がまわってきたわけである。一時不遇なように見えた子息たちも浮かび出たようである。その中でも宰相中将は権中納言になった。四の君が生んだ今年十二になる姫君を早くから後宮に擬して中納言は大事に育てていた。以前二条の院につれられて来て高砂たかさごを歌った子も元服させて幸福な家庭を中納言は持っていた。腹々に生まれた子供が多くて一族がにぎやかであるのを源氏はうらやましく思っていた。

37 籠もりゐたまひしを 「を」接続助詞、逆接。『集成』は「篭居していらしたのを」。『完訳』は「引きこもっていらっしゃったのだが」と訳す。

38 宰相中将権中納言になりたまふ 左大臣家の嫡男。娘を冷泉帝の後宮に入内させることを準備する。

39 かの高砂歌ひし君も 「賢木」巻に見える。四君腹の二郎君。現在、十二、三歳。元服させる。

40 生ひ出でつつ 「つつ」接尾語、同じ動作の繰返のニュアンス。次々とお育ちになって。

 大殿腹の若君、人よりことにうつくしうて、内裏、春宮の殿上したまふ。故姫君の亡せたまひにし嘆きを、宮、大臣、またさらに改めて思し嘆く。されど、おはせぬ名残も、ただこの大臣の御光に、よろづもてなされたまひて、年ごろ、思し沈みつる名残なきまで栄えたまふ。なほ昔に御心ばへ変はらず、折節ごとに渡りたまひなどしつつ、若君の御乳母たち、さらぬ人びとも、年ごろのほどまかで散らざりけるは、皆さるべきことに触れつつ、よすがつけむことを思しおきつるに、幸ひ人多くなりぬべし。

  Ohotono bara no Wakagimi, hito yori koto ni utukusiu te, Uti, Touguu no tenzyau si tamahu. Ko-Himegimi no use tamahi ni si nageki wo, Miya, Otodo, mata sarani aratame te obosi nageku. Saredo, ohase nu nagori mo, tada kono Otodo no ohom-hikari ni, yorodu motenasa re tamahi te, tosigoro, obosi sidumi turu nagori naki made sakaye tamahu. Naho mukasi ni mikokorobahe kahara zu, worihusi goto ni watari tamahi nado si tutu, Wakagimi no ohom-menoto-tati, saranu hitobito mo, tosigoro no hodo makade tira zari keru ha, mina sarubeki koto ni hure tutu, yosuga tuke m koto wo obosi oki turu ni, saihahibito ohoku nari nu besi.

 大殿腹の若君、誰よりも格別におかわいらしゅうて、内裏や東宮御所の童殿上なさる。故姫君がお亡くなりになった悲しみを、大宮と大臣、改めてお嘆きになる。けれど、亡くなられた後も、まったくこの大臣のご威光によって、なにもかも引き立てられなさって、ここ数年、思い沈んでいらした跡形もないまでにお栄えになる。やはり昔とお心づかいは変わらず、事あるごとにお渡りになっては、若君の御乳母たちや、その他の女房たちにも、長年の間暇を取らずにいた人々には、皆適当な機会ごとに、便宜を計らっておやりになることをお考えおきになっていたので、幸せ者がきっと多くなったことであろう。

 太政大臣家で育てられていた源氏の子はだれよりも美しい子供で、御所へも東宮へも殿上童てんじょうわらわとして出入りしているのである。源氏のあおい夫人の死んだことを、父母はまたこの栄えゆく春に悲しんだ。しかしすべてが昔の婿の源氏によってもたらされた光明であって、何年かの暗い影が源氏のためにこの家から取り去られたのである。源氏は今も昔のとおりに老夫妻に好意を持っていて何かの場合によくたずねて行った。若君の乳母めのとそのほかの女房も長い間そのままに勤めている者に、厚くむくいてやることも源氏は忘れなかった。幸せ者が多くできたわけである。

41 大殿腹の若君 葵の上所生の子、夕霧。現在、八歳。

42 内裏春宮の殿上したまふ 内裏と東宮御所の童殿上を許可される。

43 故姫君の亡せたまひにし嘆きを 葵の上の死去をいう。「葵」巻に語られた。

44 もてなされたまひて 「れ」受身の助動詞、左大臣家は源氏から、の文意。

45 年ごろのほどまかで散らざりけるは 「年ごろの程」について、『集成』は「お留守の間の年月を辞めて出てゆかなかった者には」。『完訳』は「この長い年月お暇をとらず今日までお仕えしていた者には」。直接的には、源氏の須磨明石流離の間をさすが、広くは葵の上死去以後現在までの間をさそう。

46 よすがつけむことを思しおきつるに 『集成』は「ここでは、見込みのある男との縁組や、夫や親兄弟、子供の官職の世話などをして、生活の安定を計ってやること」と注す。

47 幸ひ人多くなりぬべし 「ぬべし」連語。「ぬ」完了の助動詞+「べし」推量の助動詞、当然。多くなるにちがいない、多くなりそうだ。

 二条院にも、同じごと待ちきこえける人を、あはれなるものに思して、年ごろの胸あくばかりと思せば、中将、中務やうの人びとには、ほどほどにつけつつ情けを見えたまふに、御いとまなくて、他歩きもしたまはず。

  Nideunowin ni mo, onazi goto mati kikoye keru hito wo, ahare naru mono ni obosi te, tosigoro no mune aku bakari to obose ba, Tyuuzyau, Nakatukasa yau no hitobito ni ha, hodo hodo ni tuke tutu nasake wo miye tamahu ni, ohom-itoma naku te, hokaariki mo si tamaha zu.

 二条院でも、同じようにお待ち申し上げていた人々を、殊勝の者だとお考えになって、数年来の胸のつかえが晴れるほどにと、お思いになると、中将の君、中務の君のような人たちには、身分に応じて情愛をかけておやりになるので、お暇がなくて、外歩きもなさらない。

 二条の院でもそのとおりに、主人を変えようともしなかった女房を源氏は好遇した。また中将とか、中務なかつかさとかいう愛人関係であった人たちにも、多年の孤独が慰むるに足るほどな愛撫あいぶが分かたれねばならないのであったから、暇がなくて外歩きも源氏はしなかった。

48 中将中務 源氏の召人。身分は女房であるが妻には数えられない愛人。「中務 ナカヅカサ」(伊京集)。

 二条院の東なる宮、院の御処分なりしを、二なく改め造らせたまふ。「花散里などやうの心苦しき人びと住ませむ」など、思し当てて繕はせたまふ。

  Nideunowin no himgasi naru miya, Win no go-syobun nari si wo, ninaku aratame tukura se tamahu. "Hanatirusato nado yau no kokorogurusiki hitobito suma se m." nado, obosi ate te tukuroha se tamahu.

 二条院の東にある邸は、故院の御遺産であったのを、またとなく素晴らしくご改築なさる。「花散里などのようなお気の毒な人々を住まわせよう」などと、お考えで修繕させなさる。

 二条の院の東に隣ったやしきは院の御遺産で源氏の所有になっているのをこのごろ源氏は新しく改築させていた。花散里はなちるさとなどという恋人たちを住ませるための設計をして造られているのである。

49 二なく改め造らせたまふ 「せ」使役の助動詞、「たまふ」尊敬の補助動詞。

50 繕はせたまふ 「せ」使役の助動詞、「たまふ」尊敬の補助動詞。上の「二なく改め築らせ給ふ」と同じことを重ねていう。『集成』は「お手入れをおさせになる」。『完訳』は「ご造営になるのである」と訳す。

第二章 明石の物語 明石の姫君誕生

第一段 宿曜の予言と姫君誕生

 まことや、「かの明石に、心苦しげなりしことはいかに」と、思し忘るる時なければ、公、私いそがしき紛れに、え思すままにも訪ひたまはざりけるを、三月朔日のほど、「このころや」と思しやるに、人知れずあはれにて、御使ありけり。とく帰り参りて、

  Makoto ya, "Kano Akasi ni, kokorogurusige nari si koto ha ikani?" to, obosi wasururu toki nakere ba, ohoyake, watakusi isogasiki magire ni, e obosu mama ni mo toburahi tamaha zari keru wo, yayohi no tuitati no hodo, "Kono koro ya?" to obosiyaru ni, hitosirezu ahare ni te, ohom-tukahi ari keri. Toku kaheri mawiri te,

 そうそう、「あの明石で、いたいたしい様子であったことはどうなったろうか」と、お忘れになる時もないので、公、私にわたる忙しさにまぎれ、思うようにお訪ねになれなかったのだが、三月の初めころに、「このごろだろうか」とお思いやりになると、人知れず胸が痛んで、お使いがあったのである。早く帰って参って、

 源氏は明石あかしの君の妊娠していたことを思って、始終気にかけているのであったが、公私の事の多さに、使いを出して尋ねることもできない。三月の初めにこのごろが産期になるはずであると思うと哀れな気がして使いをやった。

51 まことやかの明石に 「まことや」語り手の話題転換の常套語句。「かの明石に」以下「いかに」まで、源氏の心中。

52 心苦しげなりしことはいかに 明石の君の妊娠をさす。「六月ばかりより心苦しきけしきありてなやみけり」(明石)とあった。

53 訪ひたまはざりけるを 「を」接続助詞、逆接。お尋ね申し上げなかったのだが。

 「十六日になむ。女にて、たひらかにものしたまふ」

  "Zihurokuniti ni nam. Womna nite, tahiraka ni monosi tamahu."

 「十六日でした。女の子で、ご無事でございます」

 「先月の十六日に女のお子様がお生まれになりました」

54 十六日になむ。女にて、たひらかにものしたまふ 使者の詞。三月十六日、明石の姫君誕生。「なむ」係助詞、結びの省略、文は切れる。

 と告げきこゆ。めづらしきさまにてさへあなるを思すに、おろかならず。「などて、京に迎へて、かかることをもせさせざりけむ」と、口惜しう思さる。

  to tuge kikoyu. Medurasiki sama nite sahe a' naru wo obosu ni, oroka nara zu. "Nadote, kyau ni mukahe te, kakaru koto wo mo se sase zari kem?" to, kutiwosiu obosa ru.

 とご報告する。久々の御子誕生でしかも女の子であったのをお思いになると、喜びは一通りでない。「どうして、京に迎えて、こうした事をさせなかったのだろう」と、後悔されてならない。

 というしらせを聞いた源氏は愛人によってはじめての女の子を得た喜びを深く感じた。なぜ京へ呼んで産をさせなかったかと残念であった。

55 めづらしきさまにてさへあなるを 「さへ」副助詞、添加の意。『集成』は「安産の上に、珍しく女の子だという報告をお考えになると、源氏のお喜びは一通りではない。源氏には、冷泉院、夕霧と男子が続いている。それに加えて、女子を重んじた当時の貴族の考え方による」と注す。

56 などて京に迎へて 以下「せさせざりけむ」まで、源氏の心中。

 宿曜に、

  Sukuyeu ni,

 宿曜の占いで、

 源氏の運勢を占って、

 「御子三人。帝、后かならず並びて生まれたまふべし。中の劣りは、太政大臣にて位を極むべし」

  "Miko samnin. Mikado, Kisaki kanarazu narabi te mumare tamahu besi. Naka no otori ha, Daizyaudaizin nite kurawi wo kiwamu besi."

 「お子様は三人。帝、后がきっと揃ってお生まれになるであろう。その中の一番低い子は太政大臣となって位人臣を極めるであろう」

 子は三人で、みかどきさきが生まれる、いちばん劣った運命の子は太政大臣で、人臣の位をきわめるであろう、その中のいちばん低い女が女の子の母になるであろうと言われた。

57 御子三人帝后かならず並びて生まれたまふべし中の劣りは太政大臣にて位を極むべし 宿曜の勘申の詞。源氏には子が三人生まれ、そのうちの二人は、帝、后と皇位に並び立ち、その人たちより劣った人は太政大臣となり位人臣を極めるだろう、という予言。

 と、勘へ申したりしこと、さしてかなふなめり。おほかた、上なき位に昇り、世をまつりごちたまふべきこと、さばかりかしこかりしあまたの相人どもの聞こえ集めたるを、年ごろは世のわづらはしさにみな思し消ちつるを、当帝のかく位にかなひたまひぬることを、思ひのごとうれしと思す。みづからも、「もて離れたまへる筋は、さらにあるまじきこと」と思す。

  to, kamgahe mausi tari si koto, sasite, kanahu na' meri. Ohokata, kami naki kurawi ni nobori, yo wo maturigoti tamahu beki koto, sabakari kasikokari si amata no saunin-domo no kikoye atume taru wo, tosigoro ha yo no wadurahasisa ni mina obosi keti turu wo, Taudai no kaku kurawi ni kanahi tamahi nuru koto wo, omohi no goto uresi to obosu. Midukara mo, "Mote-hanare tamahe ru sudi ha, sarani aru maziki koto." to obosu.

 と、勘申したことが、一つ一つ的中するようである。おおよそ、この上ない地位に昇り、政治を執り行うであろうこと、あれほど賢明であったおおぜいの相人連中がこぞって申し上げていたのを、ここ数年来は世情のやっかいさにすっかりお打ち消しになっていらしたが、今上の帝が、このように御即位なされたことを、思いの通り嬉しくお思いになる。ご自身も「及びもつかない方面は、まったくありえないことだ」とお考えになる。

 また源氏が人臣として最高の位置を占めることも言われてあったので、それは有名な相人そうにんたちの言葉が皆一致するところであったが、逆境にいた何年間はそんなことも心に否定するほかはなかったのである。当帝が即位されたことは源氏にうれしかったが、自身の上に高御座たかみくらの栄誉をねがわないことは少年の日と少しも異なっていなかった。あるまじいことと思っている。

58 勘へ申したりしこと、さしてかなふなめり 「し」過去の助動詞。源氏がかつて聞いたというニュアンス。今、初めて語られる。「なめり」連語、「なる」断定の助動詞、「めり」推量の助動詞、主観的推量、のようであるというニュアンス。源氏が合点しているように語る。

59 おほかた上なき位に昇り世をまつりごちたまふべきこと 相人たちの噂。「上なき位」は帝位をさす。「べき」推量の助動詞、当然・推量。確信に満ちた強い推量。きっと源氏は帝位につき政治を行うだろうという噂。

60 もて離れたまへる筋はさらにあるまじきこと 源氏の心中。「もてはなれたまへる筋」は皇位につくことをさす。「さらに」副詞、「まじき」打消の推量、連体形、と呼応して、全然ありえないだろうという意。

 「あまたの皇子たちのなかに、すぐれてらうたきものに思したりしかど、ただ人に思しおきてける御心を思ふに、宿世遠かりけり。内裏のかくておはしますを、あらはに人の知ることならねど、相人の言むなしからず」

  "Amata no Miko-tati no naka ni, sugurete rautaki mono ni obosi tari sika do, tadaudo ni obosi oki te keru mikokoro wo omohu ni, sukuse tohokari keri. Uti no kaku te ohasimasu wo, araha ni hito no siru koto nara ne do, Saunin no koto munasikara zu."

 「大勢の親王たちの中で、特別にかわいがってくださったが、臣下にとお考えになったお心を思うと、帝位には遠い運命であったのだ。主上がこのように皇位におつきあそばしているのを、真相は誰も知ることでないが、相人の予言は、誤りでなかった」

 多くの皇子たちの中にすぐれてお愛しになった父帝が人臣の列に自分をお置きになった御精神を思うと、自分の運と天位とは別なものであると思う源氏であった。

61 あまたの皇子たちのなかに 以下「むなしからず」まで、源氏の心中。

62 宿世遠かりけり 「宿世」は皇位をさす。『集成』は「皇位とは縁のない運命だったのだ」。『完訳』は「帝の位など自分には無縁だったのだ」と訳す。

 と、御心のうちに思しけり。今、行く末のあらましごとを思すに、

  to, mikokoro no uti ni obosi keri. Ima, yukusuwe no aramasigoto wo obosu ni,

 と、ご心中お思いになるのであった。今、これから先の予想をなさると、

 源氏は相人の言葉のよく合う実証として、今帝の御即位が思われた。きさきが一人自分から生まれるということに明石のしらせが符合することから、

 「住吉の神のしるべ、まことにかの人も世になべてならぬ宿世にて、ひがひがしき親も及びなき心をつかふにやありけむ。さるにては、かしこき筋にもなるべき人の、あやしき世界にて生まれたらむは、いとほしうかたじけなくもあるべきかな。このほど過ぐして迎へてむ」

  "Sumiyosi-no-Kami no sirube, makoto ni kano hito mo yo ni nabete nara nu sukuse nite, higahigasiki oya mo oyobinaki kokoro wo tukahu ni ya ari kem? Saru nite ha, kasikoki sudi ni mo naru beki hito no, ayasiki sekai nite mumare tara m ha, itohosiu katazikenaku mo aru beki kana! Kono hodo sugusi te mukahe te m."

 「住吉の神のお導き、本当にあの人も世にまたとない運命で、偏屈な父親も大それた望みを抱いたのであったろうか。そういうことであれば、恐れ多い地位にもつくはずの人が、鄙びた田舎でご誕生になったようなのは、お気の毒にもまた恐れ多いことでもあるよ。いましばらくしてから迎えよう」

 住吉すみよしの神の庇護ひごによってあの人も后の母になる運命から、父の入道が自然片寄った婿選びに身命を打ち込むほどの狂態も見せたのであろう。后の位になるべき人を田舎いなかで生まれさせたのはもったいない気の毒なことであると源氏は思って、

63 住吉の神のしるべ 以下「迎へてむ」まで、源氏の心中。源氏、住吉の神の霊験と宿曜の予言を信じ、明石姫君の将来を考え都に迎えることを思う。

64 かしこき筋にもなるべき人の 「かしこき筋」は皇后をさす。「も」係助詞、強調。「べき」推量の助動詞、当然。

65 生まれたらむは 「たら」完了の助動詞、未然形。「む」推量の助動詞、婉曲。生まれたというようなのは。

66 このほど過ぐして 『完訳』は「新体制の一応の整備後に」と注す。

 と思して、東の院、急ぎ造らすべきよし、もよほし仰せたまふ。

  to obosi te, Himgasinowin, isogi tukurasu beki yosi, moyohosi ohose tamahu.

 とお考えになって、東の院、急いで修理せよとの旨、ご催促なさる。

 しばらくすれば京へ呼ぼうと思って、東の院の建築を急がせていた。

67 東の院急ぎ造らすべきよしもよほし仰せたまふ 『完訳』は「前に妻妾たちのためにとあったが、新たに姫君のたまにも必要」と注す。

第二段 宣旨の娘を乳母に選定

 さる所に、はかばかしき人しもありがたからむを思して、故院にさぶらひし宣旨の娘、宮内卿の宰相にて亡くなりにし人の子なりしを、母なども亡せて、かすかなる世に経けるが、はかなきさまにて子産みたりと、聞こしめしつけたるを、知る便りありて、ことのついでにまねびきこえける人召して、さるべきさまにのたまひ契る。

  Saru tokoro ni, hakabakasiki hito si mo ari gatakara m wo obosi te, ko-Win ni saburahi si Senzi no musume, Kunaikyau-no-Saisyau nite nakunari ni si hito no ko nari si wo, haha nado mo use te, kasuka naru yo ni he keru ga, hakanaki sama ni te ko umi tari to, kikosimesi tuke taru wo, siru tayori ari te, koto no tuide ni manebi kikoye keru hito mesi te, sarubeki sama ni notamahi tigiru.

 あのような所には、まともな乳母などもいないだろうことをお考えになって、故院にお仕えしていた宣旨の娘、宮内卿兼宰相で亡くなった人の子であるが、母親なども亡くなって、不如意な生活を送っていた人が、頼みにならない結婚をして子を生んだと、お耳になさっていたので、知るつてがあって、何かのついでにお話し申した女房を召し寄せて、しかるべくお話をおまとめになる。

 明石のような田舎に相当な乳母めのとがありえようとは思われないので、父帝の女房をしていた宣旨せんじという女の娘で父は宮内卿くないきょう宰相だった人であったが、母にも死に別れ、寂しい生活をするうちに恋愛関係から子供を生んだという話を近ごろ源氏は聞き、そのうわさを伝えた人を呼び出して、宰相の娘に、源氏の姫君の乳母として明石へおもむくことの交渉を始めさせた。

68 さる所にはかばかしき人しもありがたからむを 源氏の心中を間接的に叙述。源氏、姫君の乳母を派遣する。

69 故院にさぶらひし宣旨の娘宮内卿の宰相にて亡くなりにし人の子なりしを 乳母の母は、桐壺院の宣旨。父は宮内卿兼参議(正四位下相当官)。れっきとした家柄だが、現在両親とも亡くなり、不遇な生活をしているという設定。

70 かすかなる世に経けるが 「が」格助詞、主格。『完訳』は「細々と不如意に暮していたのが」と訳す。

71 はかなきさまにて子産みたり 地の文から詞に移る、噂の直接的部分。『集成』は「見込みのない結婚をして」。『完訳』は「夫に顧みられぬ心細さで」と注す。

72 聞こしめしつけたるを 「を」接続助詞、順接。また格助詞、目的格とも解せる。『集成』は「お耳になさっていたが」、『完訳』は「お聞き及びになっておられたので」と訳す。

73 まねびきこえける人召して 「まねび」はそっくりそのように話したの意。源氏に宣旨の娘の噂話をした女房。

74 さるべきさまにのたまひ契る 明石の姫君の乳母になるよう契約する。

 まだ若く、何心もなき人にて、明け暮れ人知れぬあばら家に、眺むる心細さなれば、深うも思ひたどらず、この御あたりのことをひとへにめでたう思ひきこえて、参るべきよし申させたり。いとあはれにかつは思して、出だし立てたまふ。

  Mada wakaku, nanigokoro mo naki hito nite, akekure hito sire nu abaraya ni, nagamuru kokorobososa nare ba, hukau mo omohi tadora zu, kono ohom-atari no koto wo hitoheni medetau omohi kikoye te, mawiru beki yosi mausa se tari. Ito ahare ni katuha obosi te, idasitate tamahu.

 まだ若く、世情にも疎い人で、毎日訪れる人もないあばらやで、物思いに沈んでいるような心細さなので、あれこれ深く考えもせずに、この方に関係のあることを一途に素晴らしいとお思い申し上げて、確かにお仕えする旨、お答え申し上げさせた。たいそう不憫に一方ではお思いにもなるが、出発させなさる。

 この女はまだ若くて無邪気な性質から、寂しいあばら屋で物思いをばかりして暮らす朝夕の生活に飽いていて、深くも考えずに、源氏の縁のかかった所に生活のできることほどよいこともないようにこれまでからこがれていて、すぐに承諾して来た。源氏は田舎いなか下りをしてくれる宰相の娘を哀れに思って、いろいろと出立の用意をしてやっていた。

75 何心もなき人にて 深窓に育った姫君の性格をいう。

76 参るべきよし 「べき」推量の助動詞、当然の意。きっとお仕えする。『集成』は「ご奉公する旨」。『完訳』は「お仕えさせていただく由」と訳す。

77 出だし立てたまふ 出立させなさる。いったん出立したことを告げ、以下にその経緯を詳しく語る。

 もののついでに、いみじう忍びまぎれておはしまいたり。さは聞こえながら、いかにせましと思ひ乱れけるを、いとかたじけなきに、よろづ思ひ慰めて、

  Mono no tuide ni, imiziu sinobi magire te ohasimai tari. Saha kikoye nagara, ikani se masi to omohi midare keru wo, ito katazikenaki ni, yorodu omohi nagusame te,

 外出の折に、たいそう人目を忍んでお立ち寄りになった。そうは申し上げたものの、どうしようかしらと、思い悩んでいたが、じきじきのお出ましに、いろいろと気もやすまって、

 外出したついでに源氏はそっとわが子の新しい乳母の家へ寄った。快諾を伝えてもらったのであるが、なお女はどうしようかと煩悶はんもんしていた所へ源氏みずからが来てくれたので、それで旅に出る心も慰んで、あきらめもついた。

78 もののついでに 以下、源氏が宣旨の娘の家を訪問した場面。

79 さは聞こえながら、いかにせまし 『集成』は「(乳母)はあのように(お勤めすると)申し上げたものの、(やはり明石のような田舎に下ることは)どうしたものかと思案にくれていたのだが」。乳母の揺れる心。

 「ただ、のたまはせむままに」

  "Tada, notamahase m mama ni."

 「ただ、仰せのとおりに」

 「御意のとおりにいたします」

 と聞こゆ。吉ろしき日なりければ、急がし立てたまひて、

to kikoyu. Yorosiki hi nari kere ba, isogasi tate tamahi te,

 と申し上げる。日柄も悪くなかったので、急いで出発させなさって、

 と言っていた。ちょうど吉日でもあったのですぐに立たせることに源氏はした。

 「あやしう、思ひやりなきやうなれど、思ふさま殊なることにてなむ。みづからもおぼえぬ住まひに結ぼほれたりし例を思ひよそへて、しばし念じたまへ」

  "Ayasiu, omohiyari naki yau nare do, omohu sama koto naru koto nite nam. Midukara mo oboye nu sumahi ni musubohore tari si tamesi wo omohi yosohe te, sibasi nenzi tamahe."

 「変なことで、いたわりのないようですが、特別のわけがあってです。わたし自身も思わぬ地方で苦労したことを思いよそえて、しばらくの間しんぼうしてください」

 「同情がないようだけれど、私は将来に特別な考えもある子なのだからね、それに私も経験して来た土地の生活だから、そう思ってまあ初めだけしばらく我慢をすればれてしまうよ」

80 あやしう思ひやりなきやうなれど 以下「しばし念じたまへ」まで、源氏の宣旨の娘への詞。

 など、ことのありやう詳しう語らひたまふ。

  nado, koto no ari yau kuhasiu katarahi tamahu.

 などと、事の次第を詳しくお頼みになる。

 と源氏は明石の入道家のことをくわしく話して聞かせた。

 主上の宮仕へ時々せしかば、見たまふ折もありしを、いたう衰へにけり。家のさまも言ひ知らず荒れまどひて、さすがに、大きなる所の、木立など疎ましげに、「いかで過ぐしつらむ」と見ゆ。人のさま、若やかにをかしければ、御覧じ放たれず。とかく戯れたまひて、

  Uhe no miyadukahe tokidoki se sika ba, mi tamahu wori mo ari si wo, itau otorohe ni keri. Ihe no sama mo ihisirazu are madohi te, sasuga ni, ohoki naru tokoro no, kodati nado utomasige ni, "Ikade sugusi tu ram?" to miyu. Hito no sama, wakayaka ni wokasikere ba, goranzi hanata re zu. Tokaku tahabure tamahi te,

 主上付きの宮仕えを時々していたので、御覧になる機会もあったが、すっかりやつれきっていた。家のありさまも、何とも言いようがなく荒れはてて、それでも、大きな邸で、木立なども気味悪いほどで、「どのように暮らしてきたのだろう」と思われる。人柄は、若々しく美しいので、お見過ごしになれない。何やかやと冗談をなさって、

 母といっしょに父帝のおそばに来ていたこともあって、時々は見た顔であったが、以前に比べると容貌ようぼうが衰えていた。家の様子などもずいぶんひどい荒れ方になっている。さすがに広いだけは広いが気味悪く思われるほど木などもしげりほうだいになっていて、こんな家にどうして暮らしてきたかと思われるほどである。若やかで美しいたちの女であったから、源氏が戯談じょうだんを言ったりするのにもおもしろい相手であった。

81 いかで過ぐしつらむ 源氏の心中。

82 とかく戯れたまひて 『集成』は「何やかやと色めいた振舞をなさって」。『完訳』「あれこれと冗談を仰せになって」と訳す。後者は「の給ひて」(家・横・池・三)の本文に従った訳。

 「取り返しつべき心地こそすれ。いかに」

  "Torikahesi tu beki kokoti koso sure. Ikani?"

 「明石にやらずに自分のほうに置いておきたい気がする。どう思いますか」

 「私は取り返したい気がする。遠くへなどおまえをやりたくない。どう」

83 取り返しつべき心地こそすれいかに 源氏の詞。『集成」は「昔のようになりたい気がするね。側に置いておきたい、の意」。『完訳』は「明石に遣らずに取り返したい」と注す。「取り返す物にもがなや世の中をありしながらの我が身と思はむ」(出典未詳、源氏釈所引)の古歌の文句を踏まえた発言であろう。

 とのたまふにつけても、「げに、同じうは、御身近うも仕うまつり馴れば、憂き身も慰みなまし」と見たてまつる。

  to notamahu ni tuke te mo, "Geni, onaziu ha, ohom-mi tikau mo tukaumaturi nare ba, uki mi mo nagusami na masi." to mi tatematuru.

 とおっしゃるにつけても、「おっしゃるとおり、同じことなら、ずっとお側近くにお仕えさせていただけるものなら、わが身の不幸も慰みましようものを」と拝する。

 と言われて、直接源氏のそばで使われる身になれたなら、過去のどんな不幸も忘れることができるであろうと、物哀れな気持ちに女はなった。

84 げに同じうは 以下「慰みなまし」まで、宣旨の娘の心中。「げに」は宣旨の娘の納得の気持ち。「なまし」連語。「な」完了の助動詞。「まし」推量の助動詞、反実仮想。非現実的な事態についての推量を強調的に表現する。きっと慰みもしように、残念ながらそれができない、というニュアンス。

 「かねてより隔てぬ仲とならはねど
  別れは惜しきものにぞありける

    "Kanete yori hedate nu naka to naraha ne do
    wakare ha wosiki mono ni zo ari keru

 「以前から特に親しい仲であったわけではないが
  別れは惜しい気がするものであるよ

 「かねてより隔てぬ中とならはねど
  別れは惜しきものにぞありける

85 かねてより隔てぬ仲とならはねど--別れは惜しきものにぞありける 源氏の宣旨の娘への贈歌。別れは辛いという、挨拶の歌。

 慕ひやしなまし」

  sitahi ya si na masi."

 追いかけて行こうかしら」

 いっしょに行こうかね」

86 慕ひやしなまし 大島本「したひやしなまし」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「慕ひやせまし」と校訂する。和歌に添えた詞。「し」サ変動詞、「な」完了の助動詞、確述。「まし」推量の助動詞、仮想。--してしまおうかしら、というニュアンス

 とのたまへば、うち笑ひて、

  to notamahe ba, uti-warahi te,

 とおっしゃると、にっこりして、

 と源氏が言うと、女は笑って、

 「うちつけの別れを惜しむかことにて
  思はむ方に慕ひやはせぬ」

    "Utituke no wakare wo wosimu kakoto nite
    omoha m kata ni sitahi ya ha se nu

 「口から出まかせの別れを惜しむことばにかこつけて
  恋しい方のいらっしゃる所にお行きになりませんか」

  うちつけの別れを惜しむかごとにて
  思はん方に慕ひやはせぬ

87 うちつけの別れを惜しむかことにて--思はむ方に慕ひやはせぬ 宣旨の娘の返歌。「思はむ方」は明石の君のいる地をさす。別れがつらいというなら、一緒に付いて行ったらいかがですか、と切り返した。
【かこと】-「カコト カゴト」(日葡辞書)。

 馴れて聞こゆるを、いたしと思す。

  Nare te kikoyuru wo, itasi to obosu.

 物馴れてお応えするのを、なかなかたいしたものだとお思いになる。

 と冷やかしもした。

88 馴れて聞こゆるをいたしと思す 『集成』は「場馴れのしたご返歌ぶりを、なかなかやるものだと感心なさる」。『完訳』は「心得た体に申し上げるのを、これはたいしたものだと感心なさる」と訳す。

第三段 乳母、明石へ出発

 車にてぞ京のほどは行き離れける。いと親しき人さし添へたまひて、ゆめ漏らすまじく、口がためたまひて遣はす。御佩刀、さるべきものなど、所狭きまで思しやらぬ隈なし。乳母にも、ありがたうこまやかなる御いたはりのほど、浅からず。

  Kuruma nite zo kyau no hodo ha yuki hanare keru. Ito sitasiki hito sasi-sohe tamahi te, yume morasu maziku, kutigatame tamahi te tukahasu. Mihakasi, sarubeki mono nado, tokoroseki made obosiyara nu kuma nasi. Menoto ni mo, arigatau komayaka naru ohom-itahari no hodo, asakara zu.

 車で京の中は出て行ったのであった。ごく親しい人をお付けになって、決して漏らさないよう、口止めなさってお遣わしになる。御佩刀、必要な物など、何から何まで行き届かない点はない。乳母にも、めったにないほどのお心づかいのほど、並々でない。

 京の間だけは車でやった。親しい侍を一人つけて、あくまでも秘密のうちに乳母めのとは送られたのである。守り刀ようの姫君の物、若い母親への多くの贈り物等が乳母に託されたのであった。乳母にも十分の金品が支給されてあった。

89 車にてぞ京のほどは行き離れける 乳母、明石へ出立。初め牛車で、後、舟に乗り換えて明石へ下る。

90 ゆめ漏らすまじく 大島本は「夢に(に#)」と「に」を抹消する。『新大系』はその抹消に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本と訂正以前本文に従って「ゆめに」と校訂する。

 入道の思ひかしづき思ふらむありさま、思ひやるも、ほほ笑まれたまふこと多く、また、あはれに心苦しうも、ただこのことの御心にかかるも、浅からぬにこそは。御文にも、「おろかにもてなし思ふまじ」と、返す返すいましめたまへり。

  Nihudau no omohi kasiduki omohu ram arisama, omohi-yaru mo, hohowema re tamahu koto ohoku, mata, ahare ni kokorogurusiu mo, tada kono koto no mikokoro ni kakaru mo, asakara nu ni koso ha. Ohom-humi ni mo, "Oroka ni motenasi omohu mazi." to, kahesugahesu imasime tamahe ri.

 入道が大切にお育てしているであろう様子、想像すると、ついほほ笑まれなさることが多く、また一方で、しみじみといたわしく、ただこの姫君のことがお心から離れないのも、ご愛情が深いからであろう。お手紙にも、「いいかげんな思いで扱ってはならぬ」と、繰り返しご注意なさっていた。

 源氏は入道がどんなに孫を大事がっていることであろうと、いろいろな場合を想像することで微笑がされた。母になった恋人も哀れに思いやられた。このごろの源氏の心は明石の浦へ傾き尽くしていた。手紙にも姫君を粗略にせぬようにと繰り返し繰り返しいましめてあった。

91 かしづき思ふらむありさま 「らむ」推量の助動詞、視界外推量。源氏が都から想像しているニュアンス。

92 浅からぬにこそは 「こそ」係助詞、下に「あらめ」などの語句が省略。結びの省略。「浅からぬ」の内容について、『集成』は「ご愛情が」、『完訳』は「明石の君と源氏の宿縁が」と解す。

93 おろかにもてなし思ふまじ 源氏の文の要旨。「まじ」打消推量の助動詞、禁止。疎略に扱ったり思ったりしてはならない。

 「いつしかも袖うちかけむをとめ子が
  世を経て撫づる岩の生ひ先」

    "Itusika mo sode uti-kake m wotomego ga
    yo wo he te naduru iha no ohisaki

 「早くわたしの手元に姫君を引き取って世話をしてあげたい
  天女が羽衣で岩を撫でるように幾千万年も姫の行く末を祝って」

  いつしかもそでうちかけんをとめ子が
  世をへてでん岩のおひさき

94 いつしかも袖うちかけむをとめ子が--世を経て撫づる岩の生ひ先 源氏の独詠歌。「君が代は天の羽衣まれに着て撫づとも尽きぬ巌ならなむ」(拾遺集賀、二九九、読人しらず)を踏まえる。姫君の長寿を祝い、早く迎えて育てたいという歌の意。

 津の国までは舟にて、それよりあなたは馬にて、急ぎ行き着きぬ。

  Tu-no-kuni made ha hune nite, sore yori anata ha muma nite, isogi iki tuki nu.

 摂津の国までは舟で、それから先は、馬で急いで行き着いた。

 こんな歌も送ったのである。摂津の国境くにざかいまでは船で、それからは馬に乗って乳母は明石へ着いた。

 入道待ちとり、喜びかしこまりきこゆること、限りなし。そなたに向きて拝みきこえて、ありがたき御心ばへを思ふに、いよいよいたはしう、恐ろしきまで思ふ。

  Nihudau matitori, yorokobi kasikomari kikoyuru koto, kagiri nasi. Sonata ni muki te ogami kikoye te, arigataki mikokorobahe wo omohu ni, iyoiyo itahasiu, osorosiki made omohu.

 入道、待ち迎えて、喜び恐縮申すこと、この上ない。そちらの方角を向いて拝み恐縮申し上げて、並々ならないお心づかいを思うと、ますます大事に恐れ多いまでに思う。

 入道は非常に喜んでこの一行を受け取った。感激して京のほうを拝んだほどである。

 稚児のいとゆゆしきまでうつくしうおはすること、たぐひなし。「げに、かしこき御心に、かしづききこえむと思したるは、むべなりけり」と見たてまつるに、あやしき道に出で立ちて、夢の心地しつる嘆きもさめにけり。いとうつくしうらうたうおぼえて、扱ひきこゆ。

  Tigo no ito yuyusiki made utukusiu ohasuru koto, taguhi nasi. "Geni, kasikoki mikokoro ni, kasiduki kikoye m to obosi taru ha, mube nari keri." to mi tatematuru ni, ayasiki miti ni idetati te, yume no kokoti si turu nageki mo same ni keri. Ito utukusiu rautau oboye te, atukahi kikoyu.

 幼い姫君がたいそう不吉なまでに美しくいらっしゃること、またと類がない。「なるほど、恐れ多いお心から、大切にお育て申そうとお考えになっていらっしゃるのは、もっともなことであった」と拝すると、辺鄙な田舎に旅出して、夢のような気持ちがした悲しみも忘れてしまった。たいそう美しくかわいらしく思えて、お世話申し上げる。

 そしていよいよ姫君は尊いものに思われた。おそろしいほどたいせつなものに思われた。乳母が小さい姫君の美しい顔を見て、聡明そうめいな源氏が将来を思って大事にするのであると言ったことはもっともなことであると思った。来る途中で心細いように、恐ろしいように思った旅の苦痛などもこれによって忘れてしまうことができた。非常にかわいく思って乳母は幼い姫君を扱った。

95 げにかしこき御心にかしづききこえむと思したるはむべなりけり 乳母の心中。「げに」は乳母が姫君の美しさを見て納得した気持ち。

 子持ちの君も、月ごろものをのみ思ひ沈みて、いとど弱れる心地に、生きたらむともおぼえざりつるを、この御おきての、すこしもの思ひ慰めらるるにぞ、頭もたげて、御使にも二なきさまの心ざしを尽くす。とく参りなむと急ぎ苦しがれば、思ふことどもすこし聞こえ続けて、

  Komoti-no-Kimi mo, tukigoro mono wo nomi omohi sidumi te, itodo yoware ru kokoti ni, iki tara m tomo oboye zari turu wo, kono ohom-okite no, sukosi monoomohi nagusame raruru ni zo, kasira motage te, ohom-tukahi ni mo ninaki sama no kokorozasi wo tukusu. Toku mawiri na m to isogi kurusigare ba, omohu koto-domo sukosi kikoye tuduke te,

 子持ちの君も、ここ数か月は物思いに沈んでばかりいて、ますます身も心も弱って、生きているとも思えなかったが、こうしたご配慮があって、少し物思いも慰められたので、頭を上げて、お使いの者にもできる限りのもてなしをする。早く帰参したいと急いで迷惑がっているので、思っていることを少し申し上げ続けて、

 若い母は幾月かの連続した物思いのために衰弱したからだで出産をして、なお命が続くものとも思っていなかったが、この時に見せられた源氏の至誠にはおのずから慰められて、力もついていくようであった。送って来た侍に対しても入道は心をこめた歓待をした。あまり丁寧な待遇に侍は困って、「こちらの御様子を聞こうとお待ちになっていらっしゃるでしょうから早く帰京いたしませんと」とも言うのであった。明石の君は感想を少し書いて、

96 子持ちの君も 明石の君をいう。「御息所」と同義だが、そのようには呼称されない。

97 御使にも 乳母宣旨の娘を送っ来た使者。

98 とく参りなむ 使者の心中。早く都に帰参したい。

 「ひとりして撫づるは袖のほどなきに
  覆ふばかりの蔭をしぞ待つ」

    "Hitori site naduru ha sode no hodo naki ni
    ohohu bakari no kage wo si zo matu

 「わたし一人で姫君をお世話するには行き届きませんので
  大きなご加護を期待しております」

  一人してづるはそでのほどなきに
  おほふばかりのかげをしぞ待つ

99 ひとりして撫づるは袖のほどなきに--覆ふばかりの蔭をしぞ待つ 明石君の返歌。源氏の「袖」「撫づる」の語句を受けて返す。「大空に覆ふばかりの袖もがな春咲く花を風にまかせじ」(後撰集春中、六四、読人しらず)を引歌とする。源氏の広大な庇護を期待。

 と聞こえたり。あやしきまで御心にかかり、ゆかしう思さる。

  to kikoye tari. Ayasiki made mikokoro ni kakari, yukasiu obosa ru.

 と申し上げた。不思議なまでにお心にかかり、早く御覧になりたくお思いになる。

 と歌も添えて来た。怪しいほど源氏は明石の子が心にかかって、見たくてならぬ気がした。

第四段 紫の君に姫君誕生を語る

 女君には、言にあらはしてをさをさ聞こえたまはぬを、聞きあはせたまふこともこそ、と思して、

  Womnagimi ni ha, koto ni arahasi te wosawosa kikoye tamaha nu wo, kikiahase tamahu koto mo koso, to obosi te,

 女君には、言葉に表してろくにお話申し上げなさっていないのを、他からお聞きになることがあってはいけない、とお思いになって、

夫人には明石の話をあまりしないのであるが、ほかから聞こえて来て不快にさせてはと思って、源氏は明石の君の出産の話をした。

100 女君には言にあらはしてをさをさ聞こえたまはぬを 「を」格助詞、目的格。お話し申し上げになってないのを。源氏、紫の君に姫君のことを話す。

101 聞きあはせたまふこともこそ 源氏の心中。「もこそ」連語、係助詞「も」+係助詞「こそ」。将来の事態を予測して危ぶむ気持ちを表す。お聞き合わなさることがあるといけないの意。

 「さこそあなれ。あやしうねぢけたるわざなりや。さもおはせなむと思ふあたりには、心もとなくて、思ひの外に、口惜しくなむ。女にてあなれば、いとこそものしけれ。尋ね知らでもありぬべきことなれど、さはえ思ひ捨つまじきわざなりけり。呼びにやりて見せたてまつらむ。憎みたまふなよ」

  "Sakoso a' nare. Ayasiu nediketaru waza nari ya! Samo ohase nam to omohu atari ni ha, kokoromotonaku te, omohi no hoka ni, kutiwosiku nam. Womna nite a' nare ba, ito koso monosikere. Tadune sira de mo ari nu beki koto nare do, saha e omohi sutu maziki waza nari keri. Yobi ni yari te mise tatematura m. Nikumi tamahu na yo."

 「こう言うことなのだそうです。妙にうまく行かないものですね。そうおありになって欲しいと思うところには、待ち遠しくて、思っていないところで、残念なことです。女の子だそうなので、何ともつまりません。放っておいてもよいことなのですが、そうもできそうにないことなのです。呼びにやってお見せ申し上げましょう。お憎みなさいますなよ」

 「人生は意地の悪いものですね。そうありたいと思うあなたにはできそうでなくて、そんな所に子が生まれるなどとは。しかも女の子ができたのだからね、悲観してしまう。うっちゃって置いてもいいのだけれど、そうもできないことでね、親であって見ればね。京へ呼び寄せてあなたに見せてあげましょう。憎んではいけませんよ」

102 さこそあなれ 以下「憎みたまふなよ」まで、源氏の詞。「さ」は明石で姫君が誕生したことをいう。「こそ」係助詞、「なれ」伝聞推定の助動詞、已然形、伝聞の意。係結び、強調のニュアンス。

103 おはせなむと 「なむ」終助詞、他者に対するあつらえの願望の意。「おはす」は、いらっしゃって、の意。間接的言い回し。お子がお生まれになってほしい、意。

104 心もとなくて 『完訳』は「前の予言「御子三人」では紫の上の出産は望めないが、「心もとなし」(待ち遠しい)と可能性を残した言い方をする」と注す。

105 口惜しくなむ 「なむ」係助詞、結びの省略。最後まで言い切らない、余意・余情を残した言い方。いかにも残念で--、というニュアンス。

106 女にてあなればいとこそものしけれ 「なれ」伝聞推定の助動詞。「こそ」係助詞。「ものしけれ」形容詞、已然形、係結び。強調のニュアンス。『集成』は「わざと軽視した言い方をするのである」「全く気に入りません」。『完訳』は「前の喜びとは矛盾。源氏の本心でない」「まことにおもしろくありません」と注す。

 と聞こえたまへば、面うち赤みて、

  to kikoye tamahe ba, omote uti-akami te,

 とお申し上げになると、お顔がぽっと赤くなって、


 「あやしう、つねにかやうなる筋のたまひつくる心のほどこそ、われながら疎ましけれ。もの憎みは、いつならふべきにか」

  "Ayasiu, tune ni kayau naru sudi notamahi tukuru kokoro no hodo koso, ware nagara utomasi kere. Mono-nikumi ha, itu narahu beki ni ka?"

 「変ですこと、いつもそのようなことを、ご注意をいただく私の心の程が、自分ながら嫌になりますわ。嫉妬することは、いつ教えていただいたのかしら」

 「いつも私がそんな女であるとしてあなたに言われるかと思うと私自身もいやになります。けれど女が恨みやすい性質になるのはこんなことばかりがあるからなのでしょう」

107 あやしうつねにかやうなる筋 以下「いつならふべきにか」まで、紫の君の返事。「かやうなる筋」は嫉妬するなという注意。「に」断定の助動詞、連用形。「か」係助詞、反語、下に「ありけむ」などの語句が省略、結びの省略。余意・余情を残した言い方。

 と怨じたまへば、いとよくうち笑みて、

  to wenzi tamahe ba, ito yoku uti-wemi te,

 とお恨みになると、すっかり笑顔になって、

 と女王にょおううらんだ。

 「そよ。誰がならはしにかあらむ。思はずにぞ見えたまふや。人の心より外なる思ひやりごとして、もの怨じなどしたまふよ。思へば悲し」

  "Soyo. Taga narahasi ni ka ara m? Omoha zu ni zo miye tamahu ya. Hito no kokoro yori hoka naru omohiyari goto site, mono-wenzi nado si tamahu yo! Omohe ba kanasi."

 「そうですね。誰が教えこたとでしょう。意外にお見受けしますよ。皆が思ってもいないほうに邪推して、嫉妬などなさいます。考えると悲しい」

 「そう、だれがそんな習慣をつけたのだろう。あなたは実際私の心持ちをわかろうとしてくれない。私の思っていないことを忖度そんたくして恨んでいるから私としては悲しくなる」

108 そよ 以下「思へば悲し」まで、源氏の詞。

109 誰がならはしにかあらむ 「か」係助詞、反語、「む」推量の助動詞。誰が教えたことでしょうか、誰も教えてないの意。

 とて、果て果ては涙ぐみたまふ。年ごろ飽かず恋しと思ひきこえたまひし御心のうちども、折々の御文の通ひなど思し出づるには、「よろづのこと、すさびにこそあれ」と思ひ消たれたまふ。

  tote, hatehate ha namidagumi tamahu. Tosigoro aka zu kanasi to omohi kikoye tamahi si mikokoro no uti-domo, woriwori no ohom-humi no kayohi nado obosi iduru ni ha, "Yorodu no koto, susabi ni koso are." to omohiketa re tamahu.

 とおっしゃって、しまいには涙ぐんでいらっしゃる。長い年月恋しくてたまらなく思っていらしたお二人の心の中や、季節折々のお手紙のやりとりなどをお思い出しなさると、「全部が、一時の慰み事であったのだわ」と、打ち消される気持ちになる。

 と言っているうちに源氏は涙ぐんでしまった。どんなにこの人が恋しかったろうと別居時代のことを思って、おりおり書き合った手紙にどれほど悲しい言葉が盛られたものであろうと思い出していた源氏は、明石の女のことなどはそれに比べて命のある恋愛でもないと思われた。

110 年ごろ飽かず恋しと思ひきこえたまひし御心のうちども 「年ごろ」は源氏の流離の時期」。紫の君の心中に即した叙述。「御心のうちども」の接尾語「ども」は、複数を表し、源氏と紫の君が相互にという意。

111 よろづのことすさびにこそあれ 紫の君の心中。一応の安堵感。

 「この人を、かうまで思ひやり言問ふは、なほ思ふやうのはべるぞ。まだきに聞こえば、またひが心得たまふべければ」

  "Kono hito wo, kau made omohiyari kototohu ha, naho omohu yau no haberu zo. Madaki ni kikoye ba, mata higakokoro e tamahu bekere ba."

 「この人を、これほどまで考えてやり見舞ってやるのは、実は考えていることがあるからですよ。今のうちからお話し申し上げたら、また誤解なさろうから」

 「子供に私が大騒ぎして使いを出したりしているのも考えがあるからですよ。今から話せばまた悪くあなたが取るから」

112 この人をかうまで 以下「心得たまふべけれ」まで、源氏の詞。「この人」は明石の君をさす。

 とのたまひさして、

  to notamahi sasi te,

 と言いさしなさって、

 とその話を続けずに、

 「人がらのをかしかりしも、所からにや、めづらしうおぼえきかし」

  "Hitogara no wokasikari si mo, tokorokara ni ya, medurasiu oboye ki kasi."

 「人柄が美しく見えたのも、場所柄でしょうか、めったにないように思われました」

 「すぐれた女のように思ったのは場所のせいだったと思われる。とにかく平凡でない珍しい存在だと思いましたよ」

 など語りきこえたまふ。

  nado katari kikoye tamahu.

 などと、お話し申し上げになる。

 などと子の母について語った。

 あはれなりし夕べの煙、言ひしことなど、まほならねど、その夜の容貌ほの見し、琴の音のなまめきたりしも、すべて御心とまれるさまにのたまひ出づるにも、

  Ahare nari si yuhube no keburi, ihi si koto nado, maho nara ne do, sono yo no katati hono-mi si, koto no ne no namameki tari si mo, subete mikokoro tomare ru sama ni notamahi iduru ni mo,

 しみじみとした夕べの煙、歌を詠み交わしたことなど、はっきりとではないが、その夜の顔かたちをかすかに見たこと、琴の音色が優美であったことも、すべて心惹かれた様子にお話し出すにつけても、

 別れの夕べに前の空を流れた塩焼きの煙のこと、女の言った言葉、ほんとうよりも控え目な女の容貌ようぼうの批評、名手らしい琴のきようなどを忘られぬふうに源氏の語るのを聞いている女王は、

 「われはまたなくこそ悲しと思ひ嘆きしか、すさびにても、心を分けたまひけむよ」

  "Ware ha mata naku koso kanasi to omohi nageki sika, susabi ni te mo, kokoro wo wake tamahi kem yo!"

 「わたしはこの上なく悲しく嘆いていたのに、一時の慰み事にせよ、心をお分けになったとは」

 その時代に自分は一人でどんなに寂しい思いをしていたことであろう、

113 われはまたなくこそ 以下「心を分けたまひけむよ」まで、紫の君の心中。再び嫉妬の炎が燃え上がる。

 と、ただならず、思ひ続けたまひて、「われは、われ」と、うち背き眺めて、「あはれなりし世のありさま」など、独り言のやうにうち嘆きて、

  to, tadanarazu, omohi tuduke tamahi te, "Ware ha, ware." to, uti-somuki nagame te, "Ahare nari si yo no arisama." nado, hitorigoto no yau ni uti-nageki te,

 と、穏やかならず、次から次へと恨めしくお思いになって、「わたしは、わたし」と、背を向けて物思わしげに、「しみじみと心の通いあった二人の仲でしたのにね」と、独り言のようにふっと嘆いて、

 仮にもせよ良人おっとは心を人に分けていた時代にと思うと恨めしくて、明石の女のために歎息たんそくをしている良人は良人であるというように、横のほうを向いて、
 「どんなに私は悲しかったろう」
歎息しながら独言ひとりごとのようにこう言ってから、

114 われはわれ 「君は君我は我とて隔てねば心々にあらむものかは」(和泉式部日記)。『集成』は「あなたはあなた、私は私で、お互いに別々の心なのですね、の意」と注す。

115 「あはれなりし世のありさま」など 大島本は「あはれなりしよの有さまなと」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「あはれなりし世のありさまかな」と校訂する。紫の君の詞。「し」過去の助動詞。「世」は夫婦仲。仲睦まじかった過去を回想。

 「思ふどちなびく方にはあらずとも
  われぞ煙に先立ちなまし」

    "Omohudoti nabiku kata ni ha ara zu tomo
    ware zo keburi ni sakidati na masi

 「愛しあっている同士が同じ方向になびいているのとは違って
  わたしは先に煙となって死んでしまいたい」

  思ふどちなびく方にはあらずとも
  われぞ煙に先立ちなまし

116 思ふどちなびく方にはあらずとも--われぞ煙に先立ちなまし 紫の君の歌。『集成』は「前に、源氏が「あはれなりし夕の煙、言ひしことなど」を語り出した時、明石の上の返歌の前に、当然源氏の贈歌を語っているはずであるから、それを受けて詠んだのである。すなわち「このたびは立ち別るとも藻塩焼く煙は同じかたになびかむ」に応じたもの」と注す。「思ふどち靡く方」「煙」は源氏の「煙」「同じ方」を受けた表現。「なまし」連語、完了の助動詞「ぬ」未然形「な」+仮想の助動詞「まし」。非現実的な事態についての推量を強調して表す。死んでしまいたいものです。

 「何とか。心憂や。

  "Nani to ka? Kokorou ya!

 「何とおっしゃいます。嫌なことを。

 「何ですって、情けないじゃありませんか、

117 何とか心憂や 源氏の詞。紫の君に対する反論。

  誰れにより世を海山に行きめぐり
  絶えぬ涙に浮き沈む身ぞ

    Tare ni yori yo wo umi yama ni yuki meguri
    taye nu namida ni uki sidumu mi zo

  いったい誰のために憂き世を海や山にさまよって
  止まることのない涙を流して浮き沈みしてきたのでしょうか

  たれにより世をうみやまに行きめぐり
  絶えぬ涙に浮き沈む身ぞ

118 誰れにより世を海山に行きめぐり--絶えぬ涙に浮き沈む身ぞ 源氏の返歌。「うみ」に「憂み」と「海」を掛ける。「海」と「浮き沈み」は縁語。反語表現。みなあなたのために辛抱してきたのです、の意。

 いでや、いかでか見えたてまつらむ。命こそかなひがたかべいものなめれ。はかなきことにて、人に心おかれじと思ふも、ただ一つゆゑぞや」

  Ideya, ikadeka miye tatematura m? Inoti koso kanahi gataka' bei mono na' mere. Hakanaki koto nite, hito ni kokorooka re zi to omohu mo, tada hitotu yuwe zo ya!"

 さあ、何としてでも本心をお見せ申しましょう。寿命だけは思うようにならないもののようですが。つまらないことで、恨まれまいと思うのも、ただあなた一人のためですよ」

 そうまで誤解されては私はもう死にたくなる。つまらぬことで人の感情を害したくないと思うのも、ただ一つの私の願いのあなたとながく幸福でいたいためじゃないのですか」

119 いでやいかでか 以下「一つゆゑぞや」まで、源氏の詞。

120 命こそかなひがたかべいものなめれ 「命だに心にかなふものならば何か別れの悲しからまし」(古今集離別、三八七、白女)を踏まえる。

121 ただ一つゆゑぞや 紫の君一人のため。

 とて、箏の御琴引き寄せて、掻き合せすさびたまひて、そそのかしきこえたまへど、かの、すぐれたりけむもねたきにや、手も触れたまはず。いとおほどかにうつくしう、たをやぎたまへるものから、さすがに執念きところつきて、もの怨じしたまへるが、なかなか愛敬づきて腹立ちなしたまふを、をかしう見どころありと思す。

  tote, sau no ohom-koto hikiyose te, kaki ahase susabi tamahi te, sosonokasi kikoye tamahe do, kano, sugure tari kem mo netaki ni ya, te mo hure tamaha zu. Ito ohodoka ni utukusiu, tawoyagi tamahe ru monokara, sasugani sihuneki tokoro tuki te, mono-wenzi si tamahe ru ga, nakanaka aigyauduki te haradati nasi tamahu wo, wokasiu midokoro ari to obosu.

 と言って、箏のお琴を引き寄せて、調子合わせに軽くお弾きになって、お勧め申し上げなさるが、あの、上手だったというのも癪なのであろうか、手もお触れにならない。とてもおっとりと美しくしなやかでいらっしゃる一方で、やはりしつこいところがあって、嫉妬なさっているのが、かえって愛らしい様子でお腹立ちになっていらっしゃるのを、おもしろく相手にしがいがある、とお思いになる。

源氏は十三絃のき合わせをして、けと女王に勧めるのであるが、名手だと思ったと源氏に言われている女がねたましいか手も触れようとしない。おおようで美しく柔らかい気持ちの女性であるが、さすがに嫉妬しっとはして、恨むことも腹を立てることもあるのが、いっそう複雑な美しさを添えて、この人をより引き立てて見せることだと源氏は思っていた。

122 をかしう見どころあり 源氏の心中。紫の君の嫉妬をかわいいと思う。

第五段 姫君の五十日の祝

 「五月五日にぞ、五十日には当たるらむ」と、人知れず数へたまひて、ゆかしうあはれに思しやる。「何ごとも、いかにかひあるさまにもてなし、うれしからまし。口惜しのわざや。さる所にしも、心苦しきさまにて、出で来たるよ」と思す。「男君ならましかば、かうしも御心にかけたまふまじきを、かたじけなういとほしう、わが御宿世も、この御ことにつけてぞかたほなりけり」と思さるる。

  "Gogwati no ituka ni zo, ika ni ha ataru ram." to, hitosirezu kazohe tamahi te, yukasiu ahare ni obosiyaru. "Nanigoto mo, ikani kahi aru sama ni motenasi, uresikara masi. Kutiwosi no waza ya! Saru tokoro ni simo, kokorogurusiki sama nite, ideki taru yo!" to obosu. "Wotokogimi nara masika ba, kau simo mikokoro ni kake tamahu maziki wo, katazikenau itohosiu, waga ohom-sukuse mo, kono ohom-koto ni tuke te zo kataho nari keri." to obosa ruru.

 「五月五日が、五十日に当たるだろう」と、人知れず日数を数えなさって、どうしているかといとしくお思いやりになる。「どのようなことでも、どんなにも立派にでき、嬉しいことであろうに。残念なことだ。よりによって、あのような土地に、おいたわしくお生まれになったことよ」とお思いになる。「男君であったならば、こんなにまではお心におかけなさらないのだが、恐れ多くもおいたわしく、ご自分の運命も、このご誕生に関連して不遇もあったのだ」とご理解なさる。

 五月の五日が五十日いかの祝いにあたるであろうと源氏は人知れず数えていて、その式が思いやられ、その子が恋しくてならないのであった。紫の女王に生まれた子であったなら、どんなにはなやかにそれらの式を自分は行なってやったことであろうと残念である。あの田舎いなかで父のいぬ場所で生まれるとはあわれな者であると思っていた。男の子であれば源氏もこうまでこの事実に苦しまなかったであろうが、きさきの望みを持ってよい女の子にこの引け目をつけておくことが堪えられないように思われて、自分の運はこの一点で完全でないとさえ思った。

123 五月五日にぞ、五十日には当たるらむ 源氏の心中。五月五日が姫君の生後五十日の祝いの日に当たろう、と思いやる。

124 何ごともいかに 以下「出で来たるよ」まで、源氏の心中。下に反実仮想の助動詞「まし」がある構文。もし、京で誕生したのならという仮想のもとに残念に思う。

125 さる所にしも 「しも」副助詞、強調のニュアンス。よりによってあのような土地に。

126 男君ならましかば 以下「かたほなりけり」まで、語り手が源氏の心中を要約した文。よって源氏に対する敬意が「かけたまふ」「わが御宿世」と紛れ込む。源氏の心中にそった地の文という見方もできる。

127 わが御宿世も、この御ことにつけてぞかたほなりけり」と思さるる 「ぞ」係助詞、「かたほなりけり」を飛び越えて、「思さるる」連体形に係る。『集成』は「ご自身のご運勢も、このお方の誕生のために、一時欠けることもあったのだとお考えになる。須磨、明石の流離は、立后を予言されている姫君誕生をもたらすためだったと思う」。完訳「ご自分の運勢も、この姫君出生の御事のために禍があったのだと、お考えになる」と注す。

 御使出だし立てたまふ。

  Ohom-tukahi idasitate tamahu.

 お使いの者をお立てになる。

 五十日いかのために源氏は明石へ使いを出した。

 「かならずその日違へずまかり着け」

  "Kanarazu sono hi tagahe zu makari tuke!"

 「必ずその日に違わずに到着せよ」

「ぜひ当日着くようにして行け」

 とのたまへば、五日に行き着きぬ。思しやることも、ありがたうめでたきさまにて、まめまめしき御訪らひもあり。

  to notamahe ba, ituka ni iki tuki nu. Obosiyaru koto mo, arigatau medetaki sama nite, mamemamesiki ohom-toburahi mo ari.

 とおっしゃったので、五日に到着した。ご配慮のほども、世にまたなく結構な有様で、実用的なお見舞いの品々もある。

 と源氏に命ぜられてあった使いは五日に明石へ着いた。華奢かしゃな祝品の数々のほかには実用品も多く添えて源氏は贈ったのである。

 「海松や時ぞともなき蔭にゐて
  何のあやめもいかにわくらむ

    "Umimatu ya toki zo to mo naki kage ni wi te
    nani no ayame mo ikani waku ram?

 「海松は、いつも変わらない蔭にいたのでは、今日が五日の節句の
  五十日の祝とどうしてお分りになりましょうか

  海松や時ぞともなきかげにゐて
  何のあやめもいかにわくらん

128 海松や時ぞともなき蔭にゐて--何のあやめもいかにわくらむ 源氏の贈歌。「海松」は姫君を喩える。「松」は生い先長いことを予祝するもの。「あやめ」は五日の節句「菖蒲」に因む。また「文目」を掛ける。「いか」は「五十日」と「如何」を掛ける。姫君へのお祝いと心遣いの歌。

 心のあくがるるまでなむ。なほ、かくてはえ過ぐすまじきを、思ひ立ちたまひね。さりとも、うしろめたきことは、よも」

  Kokoro no akugaruru made nam. Naho, kakute ha e sugusu maziki wo, omohitati tamahi ne. Saritomo, usirometaki koto ha, yomo."

 飛んで行きたい気持ちです。やはり、このまま過していることはできないから、ご決心をなさい。いくらなんでも、心配なさることは、決してありません」

 からだから魂が抜けてしまうほど恋しく思います。私はこの苦しみに堪えられないと思う。ぜひ京へ出て来ることにしてください。こちらであなたに不愉快な思いをさせることは断じてない。

129 心のあくがるるまで 以下「うしろめたきことはよも」まで、歌に添えた文。「よも」の下には「あるまじ」などの語句が省略。

 と書いたまへり。

  to kai tamahe ri.

 と書いてある。

 という手紙であった。

 入道、例の、喜び泣きしてゐたり。かかる折は、生けるかひもつくり出でたる、ことわりなりと見ゆ。

  Nihudau, rei no, yorokobinaki si te wi tari. Kakaru wori ha, ike ru kahi mo tukuri ide taru, kotowari nari to miyu.

 入道は、いつもの喜び泣きをしていた。このような時には、生きていた甲斐があるとべそをかくのも、無理はないと思われる。

 入道は例のように感激して泣いていた。源氏の出立の日の泣き顔とは違った泣き顔である。

130 生けるかひもつくり出でたる 「かひ」は「生ける甲斐」と「かひ作る」(べそをかく)の言葉遊び的表現。

 ここにも、よろづ所狭きまで思ひ設けたりけれど、この御使なくは、闇の夜にてこそ暮れぬべかりけれ。乳母も、この女君のあはれに思ふやうなるを、語らひ人にて、世の慰めにしけり。をさをさ劣らぬ人も、類に触れて迎へ取りてあらすれど、こよなく衰へたる宮仕へ人などの、巌の中尋ぬるが落ち止まれるなどこそあれ、これは、こよなうこめき思ひあがれり。

  Koko ni mo, yorodu tokoroseki made omohi-mauke tari kere do, kono ohom-tukahi naku ha, yami no yo nite koso kure nu bekari kere! Menoto mo, kono Womnagimi no ahare ni omohu yau naru wo, katarahibito nite, yo no nagusame ni si keri. Wosawosa otora nu hito mo, rui ni hure te mukahe tori te ara sure do, koyonaku otorohe taru miyadukahebito nado no, ihaho no naka tadunuru ga oti tomare ru nado koso are, kore ha, koyonau komeki omohiagare ri.

 ここでも、万事至らぬところのないまで盛大に準備していたが、このお使いが来なかったら、闇夜の錦のように何の見栄えもなく終わってしまったであろう。乳母も、この女君が感心するくらい理想的な人柄なのを、よい相談相手として、憂き世の慰めにしているのであった。さして劣らない女房を、縁故を頼って迎えて付けさせているが、すっかり落ちぶれはてた宮仕え人で、出家や隠棲しようとしていた人々が残っていたというのであるが、この人は、この上なくおっとりとして気位高かった。

 明石でも式の用意は派手はでにしてあった。見て報告をする使いが来なかったなら、それがどんなに晴れをしなかったことだろうと思われた。乳母めのとも明石の君の優しい気質に馴染なじんで、よい友人を得た気になって、京のことは思わずに暮らしていた。入道の身分に近いほどの家のむすめもここに来て女房勤めをしているようなのが幾人かはあるが、それがどうかといえば京の宮仕えにり尽くされたような年配の者が生活の苦からのがれるために田舎いなか下りをしたのが多いのに、この乳母はまだ娘らしくて、しかも思い上がった心を持っていて、自身の見た京を語り、宮廷を語り、縉紳しんしんの家の内部の派手な様子を語って聞かせることができた。

131 闇の夜にてこそ暮れぬべかりけれ 「見る人もなくて散りぬる奥山の紅葉は闇の夜の錦なりけり」(古今集秋下、二九七、紀貫之)を踏まえる。

132 女君のあはれに思ふやうなるを語らひ人にて 『完訳』は「乳母と明石の君を、ほぼ同等に語る。女君の身分の低さに注意」と注す。

133 をさをさ劣らぬ人も この乳母にさして劣らない女房。

134 巌の中尋ぬるが落ち止まれるなどこそあれ 「が」格助詞、主格を表す。出家や隠棲を志していた者が、の意。「こそ」係助詞、「あれ」已然形、逆接用法、読点で、下文に続く。「いかならむ巌の中に住まばかは世の憂き事の聞こえこざらむ」(古今集雑下、九五二、読人しらず)による。

 聞きどころある世の物語などして、大臣の君の御ありさま、世にかしづかれたまへる御おぼえのほども、女心地にまかせて限りなく語り尽くせば、「げに、かく思し出づばかりの名残とどめたる身も、いとたけく」やうやう思ひなりけり。御文ももろともに見て、心のうちに、

  Kiki dokoro aru yo no monogatari nado si te, Otodo-no-Kimi no ohom-arisama, yo ni kasiduka re tamahe ru ohom-oboye no hodo mo, womnagokoti ni makase te kagiri naku katari tukuse ba, "Geni, kaku obosi idu bakari no nagori todome taru mi mo, ito takeku" yauyau omohi nari keri. Ohom-humi mo morotomoni mi te, kokoro no uti ni,

 聞くに値する世間話などをして、大臣の君のご様子、世間から大切にされていらっしゃるご評判なども、女心にまかせて果てもなく話をするので、なるほど、このようにお思い出してくださるよすがを残した自分も、たいそう偉いものだとだんだん思うようになるのであった。お手紙を一緒に見て、心の中で、

 源氏の大臣がどれほど社会から重んぜられているかということも、女心にしたいだけの誇張もして始終話した。乳母の話から、その人が別れたのちの今日までも好意を寄せて、また自分の生んだ子を愛してくれているのは幸福でなくて何であろうと明石の君はようやくこのごろになって思うようになった。乳母は源氏の手紙をいっしょに読んでいて、

135 げにかく 以下「いとたけく」まで、明石の君の心中を間接的に語った地の文。「げに」は明石の君が納得した気持ち。

136 御文ももろともに見て 主語は乳母。明石の君と乳母が対等に語られる。

 「あはれ、かうこそ思ひの外に、めでたき宿世はありけれ。憂きものはわが身こそありけれ」

  "Ahare, kau koso omohi no hoka ni, medetaki sukuse ha ari kere! Uki mono ha waga mi koso ari kere."

 「ああ、こんなにも意外に、幸福な運命のお方もあるものだわ。不幸なのはわたしだわ」

 人間にはこんなに意外な幸運を持っている人もあるのである、みじめなのは自分だけであると悲しまれたが、

137 あはれかうこそ 以下「ありけれ」まで、乳母の心中。

 と、思ひ続けらるれど、「乳母のことはいかに」など、こまやかに訪らはせたまへるも、かたじけなく、何ごとも慰めけり。

  to, omohi tuduke rarure do, "Menoto no koto ha ikani?" nado, komayaka ni toburaha se tamahe ru mo, katazikenaku, nanigoto mo nagusame keri.

 と、自然と思い続けられるが、「乳母はどうしているか」などと、やさしく案じてくださっているのも、もったいなくて、どんなに嫌なことも慰められるのであった。

 乳母はどうしているかということも奥に書かれてあって、源氏が自分に関心を持っていることを知ることができたので満足した。

138 乳母のことはいかに 源氏の手紙の一節の要旨。

139 訪らはせたまへるも 「せ」尊敬の助動詞、「たまへ」尊敬の補助動詞、二重敬語。乳母の感謝の気持ちが二重敬語になって表出したもの。

 御返りには、

  Ohom-kaheri ni ha,

 お返事には、

 返事は、

 「数ならぬみ島隠れに鳴く鶴を
  今日もいかにと問ふ人ぞなき

    "Kazu nara nu Misima gakure ni naku tadu wo
    kehu mo ikani to tohu hito zo naki

 「人数に入らないわたしのもとで育つわが子を
  今日の五十日の祝いはどうしているかと尋ねてくれる人は他にいません

  数ならぬみ島がくれに鳴くたづ
  今日もいかにとふ人ぞなき

140 数ならぬみ島隠れに鳴く鶴を--今日もいかにと問ふ人ぞなき 明石の君の返歌。源氏の「蔭にゐて」「いかにわくらむ」の語句を受けて「み島隠れ」「いかにと問ふ人ぞなく」と返す。「数ならぬ」は明石の君の身を卑下していったもの。姫君を「田鶴」に譬え、「み」に「身」、「いかに」に「五十日に」を掛ける。

 よろづに思うたまへ結ぼほるるありさまを、かくたまさかの御慰めにかけはべる命のほども、はかなくなむ。げに、後ろやすく思うたまへ置くわざもがな」

  Yorodu ni omou tamahe musubohoruru arisama wo, kaku tamasaka no ohom-nagusame ni kake haberu inoti no hodo mo, hakanaku nam. Geni, usiroyasuku omou tamahe oku waza mo gana."

 いろいろと物思いに沈んでおります様子を、このように時たまのお慰めに掛けておりますわたしの命も心細く存じられます。仰せの通りに、安心させていただきたいものです」

 いろいろに物思いをいたしながら、たまさかのおたよりを命にしておりますのもはかない私でございます。仰せのように子供の将来に光明を認めとうございます。

141 よろづに 以下「置くわざもがな」まで、手紙文。

 とまめやかに聞こえたり。

  to mameyaka ni kikoye tari.

 と、心からお頼み申し上げた。

 というので、信頼した心持ちが現われていた。

第六段 紫の君、嫉妬を覚える

 うち返し見たまひつつ、「あはれ」と、長やかにひとりごちたまふを、女君、しり目に見おこせて、

  Uti-kahesi mi tamahi tutu, "Ahare!" to, nagayaka ni hitorigoti tamahu wo, Womnagimi, sirime ni miokose te,

 何度も御覧になりながら、「ああ」と、長く嘆息して独り言をおっしゃるのを、女君は、横目で御覧やりになって、

 何度も同じ手紙を見返しながら、「かわいそうだ」と長く声を引いて独言ひとりごとを言っているのを、夫人は横目にながめて、

 「浦よりをちに漕ぐ舟の」

  "Ura yori woti ni kogu hune no."

 「浦から遠方に漕ぎ出す舟のように」

 「浦よりをちぐ船の」

142 浦よりをちに 以下「漕ぐ舟の」まで、紫の君の詞。「み熊野の浦よりをちに漕ぐ船の我をばよそに隔てつるかな」(古今六帖、浦)の第二句、三句を口ずさんだ。真意は第五句の「我をばよそに隔てつるかな」にある。

 と、忍びやかにひとりごち、眺めたまふを、

  to, sinobiyaka ni hitorigoti, nagame tamahu wo,

 と、ひっそりと独り言を言って、物思いに沈んでいらっしゃるのを、

 (我をばよそに隔てつるかな)と低く言って、物思わしそうにしていた。

 「まことは、かくまでとりなしたまふよ。こは、ただ、かばかりのあはれぞや。所のさまなど、うち思ひやる時々、来し方のこと忘れがたき独り言を、ようこそ聞き過ぐいたまはね」

  "Makoto ha, kaku made torinasi tamahu yo! Koha, tada, kabakari no ahare zo ya! Tokoro no sama nado, uti-omohiyaru tokidoki, kisikata no koto wasure gataki hitorigoto wo, you koso kiki sugui tamaha ne."

 「ほんとうに、こんなにまで邪推なさるのですね。これは、ただ、これだけの愛情ですよ。土地の様子など、ふと想像する時々に、昔のことが忘れられないで漏らす独り言を、よくお聞き過しなさらないのですね」

 「そんなにあなたに悪く思われるようにまで私はこの女を愛しているのではない。それはただそれだけの恋ですよ。そこの風景が目に浮かんできたりする時々に、私は当時の気持ちになってね、つい歎息たんそくが口から出るのですよ。なんでも気にするのですね」

143 まことはかくまで 以下「過ぐいたまふかな」まで、源氏の詞。

 など、恨みきこえたまひて、上包ばかりを見せたてまつらせたまふ。筆などのいとゆゑづきて、やむごとなき人苦しげなるを、「かかればなめり」と、思す。

  nado, urami kikoye tamahi te, uhadutumi bakari wo mise tatematura se tamahu. Hude nado no ito yuweduki te, yamgotonaki hito kurusige naru wo, "Kakare ba na' meri." to, obosu.

 などと、お恨み申されて、上包みだけをお見せ申し上げになさる。筆跡などがとても立派で、高貴な方も引け目を感じそうなので、「これだからであろう」と、お思いになる。

 などと、恨みを言いながら上包みに書かれた字だけを夫人に見せた。品のよい手跡で貴女きじょも恥ずかしいほどなのを見て、夫人はこうだからであると思った。

144 見せたてまつらせたまふ 大島本は「見せたてまつらせ給ふ」とある。『新大系』『集成』は底本のままとする。『古典セレクション』は諸本に従って「見せたてまつりたまふ」と校訂する。

145 筆などの 大島本は「ふん(ん#て)なとの」と「ん」をミセケチにして「て」と傍記する。『新大系』は底本の訂正に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「手などの」と校訂する。

146 やむごとなき人苦しげなるを 『集成』は「身分の高い女もたじろぎそうなのを」。『完訳』は「高貴なお方とてひけめを感じそうなみごとさを」と訳す。

147 かかればなめり 紫の君の心中。

第三章 光る源氏の物語 新旧後宮女性の動向

第一段 花散里訪問

 かく、この御心とりたまふほどに、花散里などを離れ果てたまひぬるこそ、いとほしけれ。公事も繁く、所狭き御身に、思し憚るに添へても、めづらしく御目おどろくことのなきほど、思ひしづめたまふなめり。

  Kaku, kono mikokoro tori tamahu hodo ni, Hanatirusato nado wo kare hate tamahi nuru koso, itohosikere. Ohoyakegoto mo sigeku, tokoroseki ohom-mi ni, obosi habakaru ni sohe te mo, medurasiku ohom-me odoroku koto no naki hodo, omohi-sidume tamahu na' meri.

 このように、この方のお気持ちの御機嫌をとっていらっしゃる間に、花散里などをすっかり途絶えていらっしゃったのは、お気の毒なことである。公事も忙しく、気軽には動けないご身分であるため、ご遠慮されるのに加えても、目新しくお心を動かすことが来ない間、慎重にしていらっしゃるようである。

 こんなふうに紫の女王にょおう機嫌きげんを取ることにばかり追われて、花散里はなちるさとたずねる夜も源氏の作られないのは女のためにかわいそうなことである。このごろは公務も忙しい源氏であった。外出に従者も多く従えて出ねばならぬ身分の窮屈きゅうくつさもある上に、花散里その人がきわだつ刺戟しげきも与えぬ人であることを知っている源氏は、今日逢わねばと心のき立つこともないのであった。

148 かく、この御心とりたまふほどに、花散里などを離れ果てたまひぬるこそ 大島本は「花ちる里(里+なと<朱>)を」と朱筆で「なと」を補入する。『新大系』は底本の補入に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本及び大島本の訂正以前本文に従って「花散里を」と校訂する。そして大島本は「あ(あ#か<朱>)れはて」と朱筆で「あ」を抹消して「か」と訂正する。『集成』『新大系』は底本の訂正に従う。『古典セレクション』は諸本及び底本の訂正以前本文に従って「あれはて」と校訂する。五月雨のつれづれなる頃、源氏、花散里を訪問。

149 めづらしく御目おどろくことのなきほど 「御目」は源氏の目。『完訳』は「花散里から目新しく働きかけ、源氏の心が動くということなく」と注す。

150 思ひしづめたまふなめり 「なめり」連語。断定の助動詞「なる」の連体形+推量の助動詞「めり」。語り手の断定の気持ちを婉曲的にいう表現。--であるらしい、--であるようだ、というニュアンス。

 五月雨つれづれなるころ、公私もの静かなるに、思し起こして渡りたまへり。よそながらも、明け暮れにつけて、よろづに思しやり訪らひきこえたまふを頼みにて、過ぐいたまふ所なれば、今めかしう心にくきさまに、そばみ恨みたまふべきならねば、心やすげなり。年ごろに、いよいよ荒れまさり、すごげにておはす。

  Samidare turedure naru koro, ohoyake watakusi mono-siduka naru ni, obosi okosi te watari tamahe ri. Yoso nagara mo, akekure ni tuke te, yorodu ni obosiyari toburahi kikoye tamahu wo tanomi nite, sugui tamahu tokoro nare ba, imamekasiu kokoronikuki sama ni, sobami urami tamahu beki nara ne ba, kokoroyasuge nari. Tosigoro ni, iyoiyo are masari, sugoge ni te ohasu.

 五月雨の降る所在ない頃、公私ともに暇なので、お思い立ってお出かけになった。訪れはなくても、朝に夕につけ、何から何までお気をつけてお世話申し上げていらっしゃるのを頼りとして、過ごしていらっしゃる所なので、今ふうに思わせぶりに、すねたり恨んだりなさることがないので、お心安いようである。この何年間に、ますます荒れがひどくなって、もの寂しい感じで暮らしていらっしゃる。

 五月雨さみだれのころは源氏もつれづれを覚えたし、ちょうど公務も閑暇ひまであったので、思い立ってその人の所へ行った。訪ねては行かないでも源氏の君はこの一家の生活を保護することを怠っていなかったのである。それにたよっている人は恨むことがあっても、ただみずからの薄命をなげく程度のものであったから源氏は気楽に見えた。何年かのうちに邸内やしきうちはいよいよ荒れて、すごいような広い住居すまいであった。

151 五月雨つれづれなるころ 花散里の物語と夏五月雨の季節の類同的発想。「花散里」「須磨」「蓬生」巻に語られている。

152 訪らひきこえたまふを 源氏は花散里を使者をしてお世話申し上げさせなさる。ご自身は出向かない。

 女御の君に御物語聞こえたまひて、西の妻戸に夜更かして立ち寄りたまへり。月おぼろにさし入りて、いとど艶なる御ふるまひ、尽きもせず見えたまふ。いとどつつましけれど、端近ううち眺めたまひけるさまながら、のどやかにてものしたまふけはひ、いとめやすし。水鶏のいと近う鳴きたるを、

  Nyougo-no-Kimi ni ohom-monogatari kikoye tamahi te, nisi no tumado ni yo hukasi te tatiyori tamahe ri. Tuki oboro ni sasi-iri te, itodo en naru ohom-hurumahi, tuki mo se zu miye tamahu. Itodo tutumasikere do, hasi tikau uti-nagame tamahi keru sama nagara, nodoyaka ni te monosi tamahu kehahi, ito meyasusi. Kuhina no ito tikau naki taru wo,

 女御の君にお話申し上げなさってから、西の妻戸の方には夜が更けてからお立ち寄りになった。月の光が朧ろに差し込んで、ますます優美なご態度、限りなく美しくお見えになる。ますます気後れするが、端近くに物思いに耽りながら眺めていらっしゃったそのままで、ゆったりとお振る舞いになるご様子、どこといって難がない。水鶏がとても近くで鳴いているので、

 姉の女御にょごの所で話をしてから、夜がふけたあとで西の妻戸をたたいた。おぼろな月のさし込む戸口からえんな姿で源氏ははいって来た。美しい源氏と月のさす所に出ていることは恥ずかしかったが、初めから花散里はそこに出ていたのでそのままいた。この態度が源氏の気持ちを楽にした。水鶏くいなが近くで鳴くのを聞いて、

153 西の妻戸に 大島本は「西のつまとに」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『古典セレクション』は諸本に従って「西の妻戸には」と「は」を補訂する。

 「水鶏だにおどろかさずはいかにして
  荒れたる宿に月を入れまし」

    "Kuhina dani odorokasa zu ha ikani si te
    are taru yado ni tuki wo ire masi

 「せめて水鶏だけでも戸を叩いて知らせてくれなかったら
  どのようにしてこの荒れた邸に月の光を迎え入れることができたでしょうか」

  水鶏だに驚かさずばいかにして
  荒れたる宿に月を入れまし

154 水鶏だにおどろかさずはいかにして--荒れたる宿に月を入れまし 花散里の贈歌。「だに」副助詞、最小限の期待。せめて--だけでも。「月」は源氏を喩える。「まし」仮想の助動詞。水鶏が鳴いて教えてくれたから、あなたを招じいれたのです、の意。

 と、いとなつかしう、言ひ消ちたまへるぞ、

  to, ito natukasiu, ihiketi tamahe ru zo,

 と、たいそうやさしく、恨み言を抑えていらっしゃるので、

 なつかしい調子で言うともなくこう言う女が感じよく源氏に思われた。

155 いとなつかしう、言ひ消ちたまへるぞ 『集成』は「とても親しみをそそる調子で、怨めしさを抑えておっしゃるのが」と注す。

 「とりどりに捨てがたき世かな。かかるこそ、なかなか身も苦しけれ」

  "Toridori ni sute gataki yo kana! Kakaru koso, nakanaka mi mo kurusikere."

 「それぞれに捨てがたい人よ。このような人こそ、かえって気苦労することだ」

 どの人にも自身をく力のあるのを知って源氏は苦しかった。

156 とりどりに 以下「苦しけれ」まで、源氏の心中。

 と思す。

  to obosu.

 とお思いになる。


 「おしなべてたたく水鶏におどろかば
  うはの空なる月もこそ入れ

    "Osinabete tataku kuhina ni odoroka ba
    uhanosora naru tuki mo koso ire

 「どの家の戸でも叩く水鶏の音に見境なしに戸を開けたら
  わたし以外の月の光が入って来たら大変だ

 「おしなべてたたく水鶏に驚かば
  うはの空なる月もこそ入れ

157 おしなべてたたく水鶏におどろかば--うはの空なる月もこそ入れ 源氏の返歌。花散里の「水鶏だに」「月を入れまし」を受けて「おしなべてたたく水鶏」「うはの空なる月もこそ入れ」と切り返す。

 うしろめたう」

  Usirometau."

 心配ですね」

 私は安心していられない」

158 うしろめたう 和歌に添えた言葉。

 とは、なほ言に聞こえたまへど、あだあだしき筋など、疑はしき御心ばへにはあらず。年ごろ、待ち過ぐしきこえたまへるも、さらにおろかには思されざりけり。「空な眺めそ」と、頼めきこえたまひし折のことも、のたまひ出でて、

  to ha, naho koto ni kikoye tamahe do, adaadasiki sudi nado, utagahasiki mikokorobahe ni ha ara zu. Tosigoro, mati sugusi kikoye tamahe ru mo, sarani oroka ni ha obosa re zari keri. "Sora na nagame so." to, tanome kikoye tamahi si wori no koto mo, notamahi ide te,

 とは、やはり言葉の上では申し上げなさるが、浮気めいたことなど、疑いの生じるご性質ではない。長い年月、お待ち申し上げていらしたのも、まったく並み大抵の気持ちとはお思いにならなかった。「空を眺めなさるな」と、お約束申された時のことも、お話し出されて、

 とは言っていたが、それは言葉の戯れであって、源氏は貞淑な花散里を信じ切っている。何に動揺することもなく長く留守るすの間を静かに待っていてくれた人を、源氏はおろそかには思っていなかった。当分悲しくならないがために空はながめないで暮らすようにと、行く前に源氏が言った夜のことなどを思い出して言うのであった。

159 空な眺めそ 「須磨」巻(第一章第四段)で源氏が花散里に詠み贈った和歌の一部の語句。

160 のたまひ出でて 主語は花散里。

 「などて、たぐひあらじと、いみじうものを思ひ沈みけむ。憂き身からは、同じ嘆かしさにこそ」

  "Nadote, taguhi ara zi to, imiziu mono wo omohi sidumi kem? Uki mi kara ha, onazi nagekasisa ni koso."

 「どうして、またとない不幸だと、ひどく嘆き悲しんだのでしょう。辛い身の上にとっは、同じ悲しさですのに」

 「なぜあの時に私は非常に悲しいことだと思ったのでしょう。私などはあなたに幸福の帰って来た今だってもやはり寂しいのでしたのに」

161 などてたぐひあらじと 以下「嘆かしさにこそ」まで、花散里の詞。

 とのたまへるも、おいらかにらうたげなり。例の、いづこの御言の葉にかあらむ、尽きせずぞ語らひ慰めきこえたまふ。

  to notamahe ru mo, oyiraka ni rautage nari. Rei no, iduko no ohom-kotonoha ni ka ara m, tukise zu zo katarahi nagusame kikoye tamahu.

 とおっしゃるのも、おっとりとしていらしてかわいらしい。例によって、どこからお出しになる言葉であろうか、言葉の限りを尽くしてお慰め申し上げになる。

 と恨みともなしにおおように言っているのが可憐かれんであった。例のように源氏は言葉を尽くして女を慰めていた。平生どうしまってあったこの人の熱情かと思われるようである。

162 例のいづこの御言の葉にかあらむ 『集成』は「女の心を捉えるうまい言葉が次々に出てくることに、なかばあきれたという気持の草子地」。

第二段 筑紫の五節と朧月夜尚侍

 かやうのついでにも、五節を思し忘れず、「また見てしがな」と、心にかけたまへれど、いとかたきことにて、え紛れたまはず。

  Kayau no tuide ni mo, Goseti wo obosi wasure zu, "Mata mi te si gana." to, kokoro ni kake tamahe re do, ito kataki koto nite, e magire tamaha zu.

 このような折にも、あの五節をお忘れにならず、「また会いたいものだ」と、心に掛けていらっしゃるが、たいそう難しいことで、お忍びで行くこともできない。

 こんな機会がまた作られたならば、大弐だいに五節ごせちに逢いたいと源氏は願っていたが、五節の訪問も実現がむずかしいと見なければならない。

163 また見てしがな 源氏の心中。

 女、もの思ひ絶えぬを、親はよろづに思ひ言ふこともあれど、世に経むことを思ひ絶えたり。

  Womna, monoomohi taye nu wo, oya ha yorodu ni omohi ihu koto mo are do, yo ni he m koto wo omohi taye tari.

 女は、物思いが絶えないのを、親はいろいろと縁談を勧めることもあるが、普通の結婚生活を送ることを断念していた。

 女は源氏を忘れることができないで、物思いの多い日を送っていて、親が心配してかれこれと勧める結婚話には取り合わずに、人並みの女の幸福などはいらないと思っていた。

164 世に経むことを思ひ絶えたり 「世」は結婚生活をいう。

 心やすき殿造りしては、「かやうの人集へても、思ふさまにかしづきたまふべき人も出でものしたまはば、さる人の後見にも」と思す。

  Kokoroyasuki tonodukuri si te ha, "Kayau no hito tudohe te mo, omohu sama ni kasiduki tamahu beki hito mo ide monosi tamaha ba, saru hito no usiromi ni mo." to obosu.

 気兼ねのいらない邸を造ってからは、「このような人々を集めて、思い通りにお世話なさる子どもが出て来たら、その人の後見にもしよう」とお思いになる。

 源氏は東の院は本邸でなく、そんな人たちを集めて住ませようと建築をさせているのであったから、もし理想どおりにかしずき娘ができてくることがあったら、顧問格の女として才女の五節などは必要な人物であると源氏は思っていた。

165 心やすき殿造りしては 以下「さる人の後見にも」まで、源氏の心中。二条の東院をさす。

166 かやうの人集へても 花散里、五節などをさす。

167 思ふさまにかしづきたまふべき人も出でものしたまはば 諸説がある。『集成』の「思い通りに養育なさるべきお子でもお生れになったならば」は、第四子誕生を想定。『完訳』の「紫の上などの出産を想定。なお、宿曜とは矛盾。後の玉鬘の物語の構想と関係するか」「思いどおり養育しようとお思いになる子でもお生れになったら」は、玉鬘物語の構想を考える。『新大系』は「(明石姫君のように后がねではなく源氏の)思い通りにかわいがることのできそうな子」と注す。

 かの院の造りざま、なかなか見どころ多く、今めいたり。よしある受領などを選りて、当て当てに催したまふ。

  Kano win no tukurizama, nakanaka midokoro ohoku, imamei tari. Yosi aru zuryau nado wo eri te, ateate ni moyohosi tamahu.

 東の院の造りようは、かえって見所が多く今風である。風流を解する受領など選んで、それぞれに分担させて急がせなさる。

 東の院はおもしろい設計で建てられているのである。近代的な生活に適するような明るい家である。地方官の中のよい趣味を持つ一人一人に殿舎をわり当てにして作らせていた。

 尚侍の君、なほえ思ひ放ちきこえたまはず。こりずまに立ち返り、御心ばへもあれど、女は憂きに懲りたまひて、昔のやうにもあひしらへきこえたまはず。なかなか、所狭う、さうざうしう世の中、思さる。

  Naisi no Kam-no-Kimi, naho e omohi hanati kikoye tamaha zu. Korizuma ni tatikaheri, mikokorobahe mo are do, Womna ha, uki ni kori tamahi te, mukasi no yau ni mo ahi sirahe kikoye tamaha zu. Nakanaka, tokoroseu, sauzausiu yononaka, obosa ru.

 尚侍の君を、今でもお諦め申すことがおできになれない。失敗に懲りもせずに再び、お気持ちをお見せになることもあるが、女は嫌なことに懲りなさって、昔のようにお相手申し上げなさらない。かえって、窮屈で、間柄を物足りないと、お思いになる。

 源氏は今も尚侍ないしのかみを恋しく思っていた。懲りたことのない人のように、またあぶないこともしかねないほど熱心になっているが、環境のために恋には奔放な力を見せた女もつつましくなっていて、昔のように源氏の誘惑に反響を見せるようなこともない。源氏は自身の地位ができて世の中が窮屈になり、冷たいものになり、物足りなくなったと感じていた。

168 こりずまに 「こりずまに又もなき名は立ちぬべし人にくからぬ世にし住まへば」(古今集恋三、六三一、読人しらず)の第一句の文句による。

第三段 旧後宮の女性たちの動向

 院はのどやかに思しなりて、時々につけて、をかしき御遊びなど、好ましげにておはします。女御、更衣、みな例のごとさぶらひたまへど、春宮の御母女御のみぞ、とり立てて時めきたまふこともなく、尚侍の君の御おぼえにおし消たれたまへりしを、かく引き変へ、めでたき御幸ひにて、離れ出でて宮に添ひたてまつりたまへる。

  Win ha nodoyaka ni obosi nari te, tokidoki ni tuke te, wokasiki ohom-asobi nado, konomasige ni te ohasimasu. Nyougo, Kaui, mina rei no goto saburahi tamahe do, Touguu no ohom-haha Nyougo nomi zo, toritate te tokimeki tamahu koto mo naku, Kam-no-Kimi no ohom-oboye ni osiketa re tamahe ri si wo, kaku hikikahe, medetaki ohom-saihahi nite, hanare ide te Miya ni sohi tatematuri tamahe ru.

 院は気楽な御心境になられて、四季折々につけて、風雅な管弦の御遊など、御機嫌よろしうおいであそばす。女御、更衣、みな院の御所に伺候していらっしゃるが、東宮の御母女御だけは、特別にはなやかにおなりになることもなく、尚侍の君のご寵愛に圧倒されていらっしゃったのが、このようにうって変わって、結構なご幸福で、離れて東宮にお付き添い申し上ていらっしゃった。

 院は暢気のんきにおなりあそばされて、よくお好きの音楽の会などをあそばして風流に暮らしておいでになった。女御にょご更衣こういも御在位の時のままに侍しているが、東宮の母君の女御だけは、以前取り立てて御寵愛ちょうあいがあったというのではなく、尚侍にけおされた後宮の一人に過ぎなかったが、思いがけぬ幸福に恵まれた結果になって、一人だけ離れて御所の中の東宮の御在所に侍しているのである。

169 院はのどやかに思しなりて 朱雀院や東宮などの動向。

170 春宮の御母女御のみぞ 「のみ」は「なく」に係るが、「ぞ」係助詞は「添ひたてまつりたまへる」に係る。その間、挿入句となる。

 この大臣の御宿直所は、昔の淑景舎なり。梨壺に春宮はおはしませば、近隣の御心寄せに、何ごとも聞こえ通ひて、宮をも後見たてまつりたまふ。

  Kono Otodo no ohom-tonowidokoro ha, mukasi no Sigeisya nari. Nasitubo ni Touguu ha ohasimase ba, tikadonari no mikokoroyose ni, nanigoto mo kikoye kayohi te, Miya wo mo usiromi tatematuri tamahu.

 この内大臣のご宿直所は、昔から淑景舎である。梨壷に東宮はいらっしゃるので、隣同士の誼で、どのようなこともお話し合い申し上げなさって、東宮をもご後見申し上げになさる。

 源氏の現在の宿直所とのいどころもやはり昔の桐壺きりつぼであって、梨壺なしつぼに東宮は住んでおいでになるのであったから、御近所であるために源氏はその御殿とお親しくして、自然東宮の御後見もするようになった。

 入道后の宮、御位をまた改めたまふべきならねば、太上天皇になずらへて、御封賜らせたまふ。院司どもなりて、さまことにいつくし。御行なひ、功徳のことを、常の御いとなみにておはします。年ごろ、世に憚りて出で入りも難く、見たてまつりたまはぬ嘆きをいぶせく思しけるに、思すさまにて、参りまかでたまふもいとめでたければ、大后は、「憂きものは世なりけり」と思し嘆く。

  Nihudau-Kisainomiya, mikurawi wo mata aratame tamahu beki narane ba, Daizyau-Tenwau ni nazurahe te, mibu tamahara se tamahu. Winzi-domo nari te, sama koto ni itukusi. Ohom-okonahi, kudoku no koto wo, tune no ohom-itonami ni te ohasimasu. Tosigoro, yo ni habakari te ide iri mo kataku, mi tatematuri tamaha nu nageki wo ibuseku obosi keru ni, obosu sama nite, mawiri makade tamahu mo ito medetakere ba, Ohokisaki ha, "Uki mono ha yo nari keri." to obosi nageku.

 入道后の宮は、御位を再びお改めになるべきでもないので、太上天皇に准じて御封を賜りあそばす。院司たちが任命されて、その様子は格別立派である。御勤行、功徳のことを、毎日のお仕事になさっている。ここ数年来、世間に遠慮して参内も難しく、お会い申されないお悲しみに、胸塞がる思いでいらっしゃったが、お思いの通りに、参内退出なさるのもまことに結構なので、大后は、「嫌なものは世の移り変わりよ」とお嘆きになる。

 入道の宮をまた新たに御母后ごぼこうの位にあそばすことは無理であったから、太上天皇に準じて女院にょいんにあそばされた。封国が決まり、院司の任命があって、これはまた一段立ちまさったごりっぱなお身の上と見えた。仏法に関係した善行功徳をお営みになることを天職のように思召おぼしめして、精励しておいでになった。長い間御所への出入りも御遠慮しておいでになったが、今はそうでなく自由なお気持ちで宮中へおはいりになり、おになりあそばすのであった。皇太后は人生を恨んでおいでになった。

171 入道后の宮御位をまた改めたまふべきならねば 御子の冷泉帝が即位したので、その母である藤壺は皇太后になるのだが、出家の身なのでそうならず、太上天皇に准じて御封を賜る待遇を受けた。歴史上、一条天皇の母后藤原詮子が東三条院と呼ばれ、女院となった例を踏まえる。

172 院司どもなりて 「なりて」は任命されての意。

 大臣はことに触れて、いと恥づかしげに仕まつり、心寄せきこえたまふも、なかなかいとほしげなるを、人もやすからず、聞こえけり。

  Otodo ha koto ni hure te, ito kadukasige ni tukamaturi, kokoroyose kikoye tamahu mo, nakanaka itohosige naru wo, hito mo yasukara zu, kikoye keri.

 内大臣は何かにつけて、たいそう恥じ入るほどにお仕え申し上げ、好意をお寄せ申し上げなさるので、かえって見ていられないようなのを、人々もそんなにまでなさらずともよかろうにと、お噂申し上げるのだった。

 何かの場合に源氏はこの方にも好意のある計らいをして敬意を表していた。太后としてはおつらいことであろうとささやく者が多かった。

173 いと恥づかしげに仕まつり心寄せきこえたまふも 源氏が弘徽殿大后に対して。

174 なかなかいとほしげなるを 『集成』は「(大后の昔の仕打ちを思うと)かえって見ていられないほどであるのを」と訳す。

第四段 冷泉帝後宮の入内争い

 兵部卿親王、年ごろの御心ばへのつらく思はずにて、ただ世の聞こえをのみ思し憚りたまひしことを、大臣は憂きものに思しおきて、昔のやうにもむつびきこえたまはず。

  Hyaubukyau-no-Miko, tosigoro no mikokorobahe no turaku omoha zu ni te, tada yo no kikoye wo nomi obosi habakari tamahi si koto wo, Otodo ha uki mono ni obosi oki te, mukasi no yau ni mo mutubi kikoye tamaha zu.

 兵部卿親王は、ここ数年来のお心が冷たく案外な仕打ちで、ただ世間のおもわくだけを気になさっていらしたことを、内大臣は恨めしくお思いになっておられて、昔のようにお親しみ申し上げなさらない。

 兵部卿ひょうぶきょう親王は源氏の官位剥奪はくだつ時代に冷淡な態度をお見せになって、ただ世間の聞こえばかりをはばかって、御娘に対してもなんらの保護をお与えにならなかったことで、当時の源氏は恨めしい思いをさせられて、もう昔のように親しい御交際はしていなかった。

175 兵部卿親王 紫の君の父親。藤壺入道の宮の兄。皇族第一の実力者。

 なべての世には、あまねくめでたき御心なれど、この御あたりは、なかなか情けなき節も、うち交ぜたまふを、入道の宮は、いとほしう本意なきことに見たてまつりたまへり。

  Nabete no yo ni ha, amaneku medetaki mikokoro nare do, kono ohom-atari ha, nakanaka nasakenaki husi mo, uti-maze tamahu wo, Nihudau-no-Miya ha, itohosiu ho'i naki koto ni mi tatematuri tamahe ri.

 世間一般に対しては、誰に対しても結構なお心なのであるが、この宮あたりに対しては、むしろ冷淡な態度も、ままおとりになるのを、入道の宮は、困ったことで不本意なことだ、とお思い申し上げていらっしゃった。

 一般の人にはあまねく慈悲を分かとうとする人であったが、兵部卿の宮一家にだけはやや復讐ふくしゅう的な扱いもするのを、入道の宮は苦しく思召された。

176 いとほしう本意なきこと 藤壺の心中を間接的に叙述。

 世の中のこと、ただなかばを分けて、太政大臣、この大臣の御ままなり。

  Yononaka no koto, tada nakaba wo wake te, Ohokiotodo, kono Otodo no ohom-mama nari.

 天下の政事は、まったく二分して、太政大臣と、この内大臣のお心のままである。

 現代には二つの大きな勢力があって、一つは太政大臣、一つは源氏の内大臣がそれで、この二人の意志で何事も断ぜられ、何事も決せられるのであった。

 権中納言の御女、その年の八月に参らせたまふ。祖父殿ゐたちて、儀式などいとあらまほし。

  Gon-Tyuunagon no ohom-musume, sono tosi no Hatigwati ni mawira se tamahu. Ohodi-dono witati te, gisiki nado ito aramahosi.

 権中納言の御娘、その年の八月に入内させなさる。祖父大臣が率先なさって、儀式などもたいそう立派である。

 権中納言の娘がその年の八月に後宮へはいった。すべての世話は祖父の大臣がしていてはなやかな仕度したくであった。

177 権中納言の御女その年の八月に参らせたまふ もとの頭中将の娘、八月に冷泉帝後宮に入内。もと左大臣家、いま、太政大臣家。一般臣家の第一の実力者が娘を後宮に入内させる。

178 祖父殿ゐたちて 『完訳』は「太政大臣が率先し采配を振り。孫娘の格上げに養女としたか」と注す。

 兵部卿宮の中の君も、さやうに心ざしてかしづきたまふ名高きを、大臣は、人よりまさりたまへとしも思さずなむありける。いかがしたまはむとすらむ。

  Hyaubukyau-no-Miya no Naka-no-Kimi mo, sayauni kokorozasi te kasiduki tamahu nadakaki wo, Otodo ha, hito yori masari tamahe to simo obosa zu nam ari keru. Ikaga si tamaha m to su ram?

 兵部卿宮の中の君も、そのように志して、大切にお世話なさっているとの評判は高いが、内大臣は、他より一段と勝るようにとも、お考えにはならないのであった。どうなさるおつもりであろうか。

 兵部卿親王も第二の姫君を後宮へ入れる志望を持っておいでになって、大事におかしずきになる評判のあるのを、源氏はその姫君に光栄あれとも思われないのであった。源氏はまたどんな人を後宮へ推薦しようとしているかそれはわからない。

179 兵部卿宮の中の君もさやうに心ざして 兵部卿宮の中の君も入内の予定。

180 人よりまさりたまへ 源氏の心中を間接的に叙述。『集成』は「すぐれたお身の上(帝の后)になられよともお考えにならないのだった」と注す。

181 いかがしたまはむとすらむ 語り手の文。読者に先の期待を持たせてこの段を締め括る。『完訳』は「源氏の今後の対処に注目しようとする、語り手の評言」と注す。

第四章 明石の物語 住吉浜の邂逅

第一段 住吉詣で

 その秋、住吉に詣でたまふ。願ども果たしたまふべければ、いかめしき御ありきにて、世の中ゆすりて、上達部、殿上人、我も我もと仕うまつりたまふ。

  Sono aki, Sumiyosi ni maude tamahu. Gwan-domo hatasi tamahu bekere ba, ikamesiki ohom-ariki nite, yononaka yusuri te, Kamdatime, Tenzyaubito, ware mo ware mo to tukaumaturi tamahu.

 その年の秋に、住吉にご参詣になる。願ほどきなどをなさるご予定なので、盛大なご行列で、世間でも大騷ぎして、上達部、殿上人らが、我も我もとお供申し上げになさる。

 この秋に源氏は住吉詣すみよしもうでをした。須磨すま明石あかしで立てたがんを神へ果たすためであって、非常な大がかりな旅になった。廷臣たちが我も我もと随行を望んだ。

182 その秋住吉に詣でたまふ 秋、源氏、住吉に御願果たしに参詣。

 折しも、かの明石の人、年ごとの例のことにて詣づるを、去年今年は障ることありて、おこたりける、かしこまり取り重ねて、思ひ立ちけり。

  Worisimo, kano Akasi-no-Hito, tosigoto no rei no koto nite mauduru wo, kozo kotosi ha saharu koto ari te, okotari keru, kasikomari tori-kasane te, omohitati keri.

 ちょうどその折、あの明石の人は、毎年恒例にして参詣するのが、去年今年は差し障りがあって、参詣できなかった、そのお詫びも兼ねて思い立ったのであった。

 ちょうどこの日であった、明石の君が毎年の例で参詣さんけいするのを、去年もこの春もさわりがあって果たすことのできなかった謝罪も兼ねて、

 舟にて詣でたり。岸にさし着くるほど、見れば、ののしりて詣でたまふ人のけはひ、渚に満ちて、いつくしき神宝を持て続けたり。楽人、十列など、装束をととのへ、容貌を選びたり。

  Hune nite maude tari. Kisi ni sasi-tukuru hodo, mire ba, nonosiri te maude tamahu hito no kehahi, nagisa ni miti te, itukusiki kamdakara wo mote-tuduke tari. Gakunin, towotura nado, sauzoku wo totonohe, katati wo erabi tari.

 舟で参詣した。岸に着ける時、見ると、大騷ぎして参詣なさる人々の様子、渚にいっぱいあふれていて、尊い奉納品を列をなさせていた。楽人、十人ほど、衣装を整え、顔形の良い者を選んでいた。

 船で住吉へ来た。海岸のほうへ寄って行くと華美な参詣の行列が寄進する神宝を運び続けて来るのが見えた。楽人、十列とつらの者もきれいな男を選んであった。

183 人のけはひ 大島本は「人(人+の)けはひ」と「の」を補入する。『集成』『新大系』は底本の補入に従う。『古典セレクション』は諸本及び底本の訂正以前本文に従う。

 「誰が詣でたまへるぞ」

  "Taga maude tamahe ru zo?"

 「どなたが参詣なさるのですか」

 「どなたの御参詣なのですか」

184 誰が詣でたまへるぞ 明石方の従者の詞。

 と問ふめれば、

  to tohu mere ba,

 と尋ねたらしいので、

 と船の者が陸へ聞くと、

185 問ふめれば 「めり」推量の助動詞、視界内推量。『集成』は「下人が尋ねているらしいのを、明石の上たちが船中で聞く趣」と注す。

 「内大臣殿の御願果たしに詣でたまふを、知らぬ人もありけり」

  "Naidaizindono no ohom-gwanhatasi ni maude tamahu wo, sira nu hito mo ari keri!"

 「内大臣殿が、御願ほどきに参詣なさるのを、知らない人もいたのだなあ」

 「おや、内大臣様の御願ごがんはたしの御参詣を知らない人もあるね」

186 内大臣殿の 以下「知らぬ人もありけり」まで、源氏方の従者の返事。天下周知の事実を知らない人もいたのだと、驚きあきれた気持ち。

 とて、はかなきほどの下衆だに、心地よげにうち笑ふ。

  tote, hakanaki hodo no gesu dani, kokotiyoge ni uti-warahu.

 と言って、とるにたりない身分の低い者までもが、気持ちよさそうに笑う。

 供男ともおとこ階級の者もこう得意そうに言う。

187 はかなきほどの下衆だに心地よげにうち笑ふ 「だに」副助詞。述語の表す動作・状態に対して、例外的、逆接的な事物、事態であることを示す。--さえも。--までも。とるに足りない下衆までが気持ちよさそうに笑う。

 「げに、あさましう、月日もこそあれ。なかなか、この御ありさまを遥かに見るも、身のほど口惜しうおぼゆ。さすがに、かけ離れたてまつらぬ宿世ながら、かく口惜しき際の者だに、もの思ひなげにて、仕うまつるを色節に思ひたるに、何の罪深き身にて、心にかけておぼつかなう思ひきこえつつ、かかりける御響きをも知らで、立ち出でつらむ」

  "Geni, asamasiu, tukihi mo koso are. Nakanaka, kono ohom-arisama wo harukani miru mo, minohodo kutiwosiu oboyu. Sasuga ni, kakehanare tatematura nu sukuse nagara, kaku kutiwosiki kiha no mono dani, monoomohi nage nite, tukaumaturu wo irohusi ni omohi taru ni, nani no tumi hukaki mi nite, kokoro ni kake te obotukanau omohi kikoye tutu, kakari keru ohom-hibiki wo mo sira de, tatiide tu ram?"

 「なるほど、あきれたことよ、他の月日もあろうに、かえって、このご威勢を遠くから眺めるのも、わが身の程が情なく思われる。とはいえ、お離れ申し上げられない運命ながら、このような賤しい身分の者でさえも、何の物思いもないふうで、お仕えしているのを晴れがましいことに思っているのに、どのような罪深い身で、心に掛けてお案じ申し上げていながら、これほどの評判であったご参詣のことも知らずに、出掛けて来たのだろう」

 何とした偶然であろう、ほかの月日もないようにと明石の君は驚いたが、はるかに恋人のはなばなしさを見ては、あまりに懸隔のありすぎるわが身の上であることを痛切に知って悲しんだ。さすがによそながら巡り合うだけの宿命につながれていることはわかるのであったが、笑って行った侍さえ幸福に輝いて見える日に、罪障の深い自分は何も知らずに来て

188 げにあさましう 以下「立ち出でつらむ」まで、明石の君の心中。一部に地の文的表現がある。

189 なかなか、この御ありさまを遥かに見るも、身のほど口惜しうおぼゆ 「なかなか」は「おぼゆ」に係る。うれしい再会であるはずなのに、かえってそれが、というニュアンス。『集成』は「なまじ及びもつかぬ源氏のご威勢のほどを遠くからみるにつけ、わが見の上が情けなく思われる」と訳す。

 など思ひ続くるに、いと悲しうて、人知れずしほたれけり。

  nado omohi tudukuru ni, ito kanasiu te, hitosirezu sihotare keri.

 などと思い続けると、実に悲しくなって、人知れず涙がこぼれるのであった。

 恥ずかしい思いをするのであろうと思い続けると悲しくばかりなった。

第二段 住吉社頭の盛儀

 松原の深緑なるに、花紅葉をこき散らしたると見ゆる表の衣の、濃き薄き、数知らず。六位のなかにも蔵人は青色しるく見えて、かの賀茂の瑞垣恨みし右近将監も靫負になりて、ことごとしげなる随身具したる蔵人なり。

  Matubara no hukamidori naru ni, hana momidi wo koki tirasi taru to miyuru uhenokinu no, koki usuki, kazu sira zu. Rokuwi no naka ni mo Kuraudo ha awoiro siruku miye te, kano Kamo no midugaki urami si Ukon-no-Zyou mo Yugehi ni nari te, kotogotosige naru zuizin gusi taru Kuraudo nari.

 松原の深緑を背景に、花や紅葉をまき散らしたように見える袍衣姿の、濃いのや薄いのが、数知れず見える。六位の中でも蔵人は麹塵色がはっきりと見えて、あの賀茂の瑞垣を恨んだ右近将監も靫負になって、ものものしそうな随身を伴った蔵人である。

 深い緑の松原の中に花紅葉もみじかれたように見えるのはほうのいろいろであった。赤袍は五位、浅葱あさぎは六位であるが、同じ六位も蔵人くろうどは青色で目に立った。加茂の大神を恨んだ右近丞うこんのじょう靫負ゆぎえになって、随身をつれた派手はでな蔵人になって来ていた。

190 松原の深緑なるに花紅葉をこき散らしたると見ゆる表の衣の濃き薄き数知らず 「見ゆる」の主体は、船の中の明石の君。以下、明石の君の眼に映る光景を語る。客観的描写でなく、人を通した主観的描写という性格。袍衣の色を桜や紅葉に喩えた見立ての表現。四位は深緋(朱色)、五位は浅緋、六位は深緑、七位は浅緑、八位は深縹(薄藍)、初位は薄縹。

191 六位のなかにも蔵人は青色しるく見えて この六位蔵人の「青色」は天皇から拝領した麹塵(青みがかった黄色)の袍である。

 良清も同じ佐にて、人よりことにもの思ひなきけしきにて、おどろおどろしき赤衣姿、いときよげなり。

  Yosikiyo mo onazi Suke nite, hito yori koto ni monoomohi naki kesiki nite, odoroodorosiki akaginu sugata, ito kiyoge nari.

 良清も同じ衛門佐で、誰よりも格別物思いもない様子で、仰々しい緋色姿が、たいそう美しげである。

 良清よしきよも同じ靫負佐ゆぎえのすけになってはなやかな赤袍の一人であった。

192 良清も同じ佐にて 「靭負」と同じという意。「靭負」は「靭負尉」(衛門府の三等官)の略。良清は衛門佐(次官、従五位上相当)になったという意。

 すべて見し人びと、引き変へはなやかに、何ごと思ふらむと見えて、うち散りたるに、若やかなる上達部、殿上人の、我も我もと思ひいどみ、馬鞍などまで飾りを整へ磨きたまへるは、いみじき物に、田舎人も思へり。

  Subete mi si hitobito, hikikahe hanayaka ni, nanigoto omohu ram to miye te, uti-tiri taru ni, wakayaka naru Kamdatime, Tenzyaubito no, ware mo ware mo to omohi idomi, muma kura nado made kazari wo totonohe migaki tamahe ru ha, imiziki mono ni, winakabito mo omohe ri.

 すべて見た人々は、うって変わってはなやかになり、何の憂えもなさそうに見えて、散らばっている中で、若々しい上達部、殿上人が、我も我もと競争で、馬や鞍などまで飾りを整え美しく装いしていらっしゃるのは、たいそうな物であると、田舎者も思った。

 明石に来ていた人たちが昔の面影とは違ったはなやかな姿で人々の中に混じっているのが船から見られた。若い顕官たち、殿上役人が競うように凝った姿をして、馬やくらにまで華奢かしゃを尽くしている一行は、田舎いなかの見物人の目を楽しませた。

193 いみじき物に田舎人も思へり 大島本は「いみしきものに」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「見物に」と校訂する。明石の君の一行の人々。

 御車を遥かに見やれば、なかなか、心やましくて、恋しき御影をもえ見たてまつらず。河原大臣の御例をまねびて、童随身を賜りたまひける、いとをかしげに装束き、みづら結ひて、紫裾濃の元結なまめかしう、丈姿ととのひ、うつくしげにて十人、さまことに今めかしう見ゆ。

  Ohom-kuruma wo haruka ni miyare ba, nakanaka, kokoroyamasiku te, kohisiki ohom-kage wo mo e mi tatematura zu. Kahara-no-Otodo no ohom-rei wo manebi te, warahazuizin wo tamahari tamahi keru, ito wokasige ni sauzoki, midura yuhi te, murasaki susogo no motoyuhi namamekasiu, take sugata totonohi, utukusige nite zihunin, sama koto ni imamekasiu miyu.

 お車を遠く見やると、かえって、心が苦しくなって、恋しいお姿をも拝することができない。河原左大臣のご先例にならって、童随身を賜っていらっしゃったが、とても美しそうに装束を着て、みずらを結って、紫の裾濃の元結が優美で、身の丈や姿もそろって、かわいらしい格好をして十人、格別はなやかに見える。

 源氏の乗った車が来た時、明石の君はきまり悪さに恋しい人をのぞくことができなかった。河原かわらの左大臣の例で童形どうぎょう儀仗ぎじょうの人を源氏は賜わっているのである。それらは美しく装うていて、髪は分けて二つの輪のみずらを紫のぼかしの元結いでくくった十人は、背たけもそろった美しい子供である。

194 河原大臣の御例をまねびて、童随身を賜りたまひける 河原の大臣、すなわち左大臣源融(八二二~八九五)。源融が童随身を賜った例は文献には見られない。藤原道長が長徳四年(九九六)に童随身を六名賜っている。

 大殿腹の若君、限りなくかしづき立てて、馬添ひ、童のほど、皆作りあはせて、やう変へて装束きわけたり。

  Ohotonobara no Wakagimi, kagirinaku kasiduki tate te, mumazohi, waraha no hodo, mina tukuri ahase te, yau kahe te sauzoki wake tari.

 大殿腹の若君、この上なく大切にお扱いになって、馬に付き添う供人、童の具合など、みな揃いの衣装で、他とは変わって服装で区別していた。

 近年はあまり許される者のない珍しい随身である。大臣家で生まれた若君は馬に乗せられていて、一班ずつをそろえの衣裳いしょうにした幾班かの馬添いわらわがつけられてある。

195 大殿腹の若君 左大臣家の葵の上が産んだ夕霧。

 雲居遥かにめでたく見ゆるにつけても、若君の数ならぬさまにてものしたまふを、いみじと思ふ。いよいよ御社の方を拝みきこゆ。

  Kumowi haruka ni medetaku miyuru ni tuke te mo, Wakagimi no kazu nara nu sama nite monosi tamahu wo, imizi to omohu. Iyoiyo Miyasiro no kata wo wogami kikoyu.

 雲居遥かな立派さを見るにつけても、若君の人数にも入らない様子でいらっしゃるのを、ひどく悲しいと思う。ますます御社の方角をお拝み申し上げる。

 最高の貴族の子供というものはこうしたものであるというように、多数の人から大事に扱われて通って行くのを見た時、明石の君は自分の子も兄弟でいながら見る影もなく扱われていると悲しかった。いよいよ御社みやしろに向いて子のために念じていた。

196 雲居遥かにめでたく見ゆるにつけても 景情と心象の風景が一体化した表現。『集成』は「海上からの距離と身分の懸隔の両方をいう」。『完訳』は「夕霧を注視する明石の君の心。距離の隔たりがそのまま、わが姫君との身分境遇の隔たりに思える」と注す。

197 若君の数ならぬさま 明石の姫君。

198 いみじと思ふ 主語は明石の君。

 国の守参りて、御まうけ、例の大臣などの参りたまふよりは、ことに世になく仕うまつりけむかし。

  Kuni-no-Kami mawiri te, ohom-mauke, rei no Otodo nado no mawiri tamahu yori ha, koto ni yo ni naku tukaumaturi kem kasi.

 摂津の国守が参上して、ご饗応の準備、普通の大臣などが参詣なさる時よりは、格別にまたとないくらい立派に奉仕したことであろうよ。

 摂津守が出て来て一行を饗応きょうおうした。普通の大臣の参詣さんけいを扱うのとはおのずから違ったことになるのは言うまでもない。

199 仕うまつりけむかし 「けむ」過去推量の助動詞。「かし」終助詞。念を押すニュアンス。語り手の推量。

 いとはしたなければ、

  Ito hasitanakere ba,

 とてもいたたまれない思いなので、

 明石の君はますます自分がみじめに見えた。

 「立ち交じり、数ならぬ身の、いささかのことせむに、神も見入れ、数まへたまふべきにもあらず。帰らむにも中空なり。今日は難波に舟さし止めて、祓へをだにせむ」

  "Tati-maziri, kazu nara nu mi no, isasaka no koto se m ni, Kami mo miire, kazumahe tamahu beki ni mo ara zu. Kahera m ni mo nakazora nari. Kehu ha Naniha ni hune sasitome te, harahe wo dani sem."

 「あの中に立ちまじって、とるに足らない身の上で、少しばかりの捧げ物をしても、神も御覧になり、お認めくださるはずもあるまい。帰るにしても中途半端である。今日は難波に舟を泊めて、せめてお祓いだけでもしよう」

 こんな時に自分などが貧弱な御幣みてぐらを差し上げても神様も目にとどめにならぬだろうし、帰ってしまうこともできない、今日は浪速なにわのほうへ船をまわして、そこではらいでもするほうがよいと思って、

200 立ち交じり、数ならぬ身の 以下「祓へをだにせむ」まで、明石の君の心中。

 とて、漕ぎ渡りぬ。

  tote, kogi watari nu.

 と思って、漕いで行った。

 明石の君の乗った船はそっと住吉を去った。

第三段 源氏、惟光と住吉の神徳を感ず

 君は、夢にも知りたまはず、夜一夜、いろいろのことをせさせたまふ。まことに、神の喜びたまふべきことを、し尽くして、来し方の御願にもうち添へ、ありがたきまで、遊びののしり明かしたまふ。

  Kimi ha, yume ni mo siri tamaha zu, yohitoyo, iroiro no koto wo se sase tamahu. Makoto ni, Kami no yorokobi tamahu beki koto wo, si tukusi te, kisikata no ohom-gwan ni mo uti-sohe, arigataki made, asobi nonosiri akasi tamahu.

 君は、まったくご存知なく、一晩中、いろいろな神事を奉納させなさる。真実に、神がお喜びになるにちがいないことを、あらゆる限りなさって、過去の御願果たしに加えて、前例のないくらいまで、楽や舞の奉納の大騷ぎして夜をお明かしになる。

 こんなことを源氏は夢にも知らないでいた。夜通しいろいろの音楽舞楽を広前ひろまえに催して、神の喜びたもうようなことをし尽くした。過去の願に神へ約してあった以上のことを源氏は行なったのである。

201 夜一夜いろいろのことをせさせたまふ 「させ」使役の助動詞。「たまふ」尊敬の補助動詞。また「させ」を尊敬の助動詞と解することも可能か。

 惟光やうの人は、心のうちに神の御徳をあはれにめでたしと思ふ。あからさまに立ち出でたまへるに、さぶらひて、聞こえ出でたり。

  Koremitu yau no hito ha, kokoro no uti ni Kami no ohom-toku wo ahare ni medetasi to omohu. Akarasama ni tatiide tamahe ru ni, saburahi te, kikoye ide tari.

 惟光などのような人は、心中に神のご神徳をしみじみとありがたく思う。ちょっと出ていらっしゃたので、お側に寄って、申し上げた。

 惟光これみつなどという源氏と辛苦をともにした人たちは、この住吉の神の徳を偉大なものと感じていた。ちょっと外へ源氏の出て来た時に惟光これみつが言った。

202 惟光やうの人 乳母子として源氏と辛苦を共にしてきた、という意。

 「住吉の松こそものはかなしけれ
  神代のことをかけて思へば」

    "Sumiyosi no matu koso mono ha kanasikere
    Kamiyo no koto wo kake te omohe ba

 「住吉の松を見るにつけ感慨無量です
  昔のことがを忘れられずに思われますので」

  住吉の松こそものは悲しけれ
  神代のことをかけて思へば

203 住吉の松こそものはかなしけれ--神代のことをかけて思へば 惟光の歌。「住吉」と「松」は縁語。「松」に「まづ」を掛ける。「かなしけれ」は感慨無量の意。「神代」は神話時代に流離生活の過去の意をこめる。

 げに、と思し出でて、

  Geni, to obosi-ide te,

 いかにもと、お思い出しになって、

 源氏もそう思っていた。

204 げにと思し出でて 惟光の歌に納得した源氏の気持ち。

 「荒かりし波のまよひに住吉の
  神をばかけて忘れやはする

    "Arakari si nami no mayohi ni Sumiyosi no
    Kami wo ba kake te wasure yaha suru

 「あの須磨の大嵐が荒れ狂った時に
  念じた住吉の神の御神徳をどうして忘られようぞ

  「荒かりしなみのまよひに住吉の
  神をばかけて忘れやはする

205 荒かりし波のまよひに住吉の--神をばかけて忘れやはする 源氏の返歌。惟光の「神代のこと」「かけて思へば」に対して「住吉の神」「かけて忘れやはする」と返した。「やは」係助詞。「する」連体形、反語表現。忘れたりしようか、決して忘れない。

 験ありな」

  Sirusi ari na!"

 霊験あらたかであったな」

  確かに私は霊験を見た人だ」

206 験ありな 歌に添えた言葉。

 とのたまふも、いとめでたし。

  to notamahu mo, ito medetasi.

 とおっしゃるのも、たいそう素晴らしい。

 と言う様子も美しい。

第四段 源氏、明石の君に和歌を贈る

 かの明石の舟、この響きに圧されて、過ぎぬることも聞こゆれば、「知らざりけるよ」と、あはれに思す。神の御しるべを思し出づるも、おろかならねば、「いささかなる消息をだにして、心慰めばや。なかなかに思ふらむかし」と思す。

  Kano Akasi no hune, kono hibiki ni osa re te, sugi nuru koto mo kikoyure ba, "Sira zari keru yo!" to, ahare ni obosu. Kami no ohom-sirube wo obosi iduru mo, oroka nara ne ba, "Isasaka naru seusoko wo dani si te, kokoro nagusame baya. Nakanaka ni omohu ram kasi." to obosu.

 あの明石の舟が、この騷ぎに圧倒されて、立ち去ったことも申し上げると、「知らなかったなあ」と、しみじみと気の毒にお思いになる。神のお導きとお思い出しになるにつけ、おろそかには思われないので、「せめてちょっとした手紙だけでも遣わして、気持ちを慰めてやりたい。かえってつらい思いをしていることだろう」とお思いになる。

 こちらの派手はでな参詣ぶりに畏縮いしゅくして明石の船が浪速のほうへ行ってしまったことも惟光が告げた。その事実を少しも知らずにいたと源氏は心であわれんでいた。初めのことも今日のことも住吉の神が二人を愛しての導きに違いないと思われて、手紙を送って慰めてやりたい、近づいてかえって悲しませたことであろうと思った。

207 知らざりけるよ 源氏の心中。

208 いささかなる消息をだにして 以下「思ふらむかし」まで、源氏の心中。「だに」副助詞、最小限の希望の意。せめて消息だけでも。

209 なかなかに思ふらむかし なまじ遭遇したばかりに、という意がこめられている。「らむ」推量の助動詞、視界外推量。源氏が明石の君の気持ちを遠くから忖度しているニュアンス。

 御社立ちたまて、所々に逍遥を尽くしたまふ。難波の御祓へ、七瀬によそほしう仕まつる。堀江のわたりを御覧じて、

  Miyasiro tati tama' te, tokorodokoro ni seuyeu wo tukusi tamahu. Naniha no ohom-harahe, nanase ni yosohosiu tukamaturu. Horie no watari wo goranzi te,

 御社をご出発になって、あちこちの名所に遊覧なさる。難波のお祓い、七瀬に立派にお勤めになる。堀江のあたりを御覧になって、

 住吉を立ってから源氏の一行は海岸の風光を愛しながら浪速に出た。そこでは祓いをすることになっていた。よど川の七瀬に祓いの幣が立てられてある堀江のほとりをながめて、

 「今はた同じ難波なる」

  "Ima hata onazi Naniha naru."

 「今はた同じ難波なる」

 「今はた同じ浪速なる」

210 今はた同じ難波なる 源氏の独り言。「わびぬれば今はた同じ難波なる身をつくしても逢はむとぞ思ふ」(後撰集恋五、九六〇、元良親王)の第二句。真意は、下句の「身をつくしても逢はむとぞ思ふ」にある。明石の君に何としてでも逢いたい。

 と、御心にもあらで、うち誦じたまへるを、御車のもと近き惟光、うけたまはりやしつらむ、さる召しもやと、例にならひて懐にまうけたる柄短き筆など、御車とどむる所にてたてまつれり。「をかし」と思して、畳紙に、

  to, mikokoro ni mo ara de, uti-zyuzi tamahe ru wo, ohom-kuruma no moto tikaki Koremitu, uketamahari ya si tu ram, saru mesi mo ya to, rei ni narahi te hutokoro ni mauke taru tuka mizikaki hude nado, ohom-kuruma todomuru tokoro nite tatemature ri. "Wokasi" to obosi te, tataugami ni,

 と、無意識のうちに、ふと朗誦なさったのを、お車の近くにいる惟光、聞きつけたのであろうか、そのような御用もあろうかと、いつものように懐中に準備しておいた柄の短い筆などを、お車を止めた所で差し上げた。「よく気がつくな」と感心なさって、畳紙に、

 (身をつくしても逢はんとぞ思ふ)と我知らず口に出た。車の近くから惟光が口ずさみを聞いたのか、その用があろうと例のように懐中に用意していた柄の短い筆などを、源氏の車の留められた際に提供した。源氏は懐紙に書くのであった。

211 うけたまはりやしつらむ 「や」疑問の間投助詞。「らむ」推量の助動詞、視界外推量。語り手の推測のニュアンス。挿入句。

212 をかしと思して 『完訳』は「明石の君を思う折しも、彼女への贈歌を促す惟光の機転に喜ぶ」と注す。

 「みをつくし恋ふるしるしにここまでも
  めぐり逢ひけるえには深しな」

    "Mi wo tukusi kohuru sirusi ni koko made mo
    meguriahi keru eni ha hukasi na

 「身を尽くして恋い慕っていた甲斐のあるここで
  めぐり逢えたとは、縁は深いのですね」

  みをつくし恋ふるしるしにここまでも
  めぐり逢ひけるえには深しな

213 みをつくし恋ふるしるしにここまでも--めぐり逢ひけるえには深しな 源氏から明石の君への贈歌。「澪標」と「身を尽くし」、「難波」と「何は」、「江」と「縁」を掛ける。「澪標」「しるし」「深し」は縁語。同じ日に邂逅したことに二人の縁の深さをいう。

 とて、たまへれば、かしこの心知れる下人して遣りけり。駒並めて、うち過ぎたまふにも、心のみ動くに、露ばかりなれど、いとあはれにかたじけなくおぼえて、うち泣きぬ。

  tote, tamahe re ba, kasiko no kokorosire ru simobito site yari keri. Koma name te, uti-sugi tamahu ni mo, kokoro nomi ugoku ni, tuyu bakari nare do, ito ahare ni katazikenaku oboye te, uti-naki nu.

 と書いて、お与えになると、あちらの事情を知っている下人を遣わして贈るのであった。馬を多数並べて、通り過ぎて行かれるにつけても、心が乱れるばかりで、ほんの歌一首ばかりのお手紙であるが、実にしみじみともったいなく思われて、涙がこぼれた。

 惟光に渡すと、明石へついて行っていた男で、入道家の者と心安くなっていた者を使いにして明石の君の船へやった。派手な一行が浪速を通って行くのを見ても、女は自身の薄倖はっこうさばかりが思われて悲しんでいた所へ、ただ少しの消息ではあるが送られて来たことで感激して泣いた。

214 心のみ動くに 明石の君。「のみ」副助詞、強調のニュアンス。

 「数ならで難波のこともかひなきに
  などみをつくし思ひそめけむ」

    "Kazu nara de Naniha no koto mo kahinaki ni
    nado miwotukusi omohi some kem

 「とるに足らない身の上で、何もかもあきらめておりましたのに
  どうして身を尽くしてまでお慕い申し上げることになったのでしょう」

  数ならでなにはのこともかひなきに
  何みをつくし思ひめけん

215 数ならで難波のこともかひなきに--などみをつくし思ひそめけむ 明石の君の返歌。「難波・何は」「澪標・身を尽くし」を受けて、「思ひそめけむ」と切り返した。さらなる愛情を切望してみせた歌。

 田蓑の島に御禊仕うまつる、御祓への物につけてたてまつる。日暮れ方になりゆく。

  Tamino-no-sima ni misogi tukaumaturu, ohom-harahe no mono ni tuke te tatematuru. Hi kuregata ni nari yuku.

 田蓑の島で禊を勤めるお祓いの木綿につけて差し上げる。日も暮れ方になって行く。

 田蓑島たみのじまでのはらいの木綿ゆうにつけてこの返事は源氏の所へ来たのである。ちょうど日暮れになっていた。

 夕潮満ち来て、入江の鶴も声惜しまぬほどのあはれなる折からなればにや、人目もつつまず、あひ見まほしくさへ思さる。

  Yuhusiho miti ki te, irie no tadu mo kowe wosima nu hodo no ahare naru worikara nare ba ni ya, hitome mo tutuma zu, ahi mi mahosiku sahe obosa ru.

 夕潮が満ちて来て、入江の鶴も、声惜しまず鳴く頃のしみじみとした情趣からであろうか、人の目も憚らず、お逢いしたいとまで、思わずにはいらっしゃれない。

 夕方の満潮時で、海べにいるつるも鳴き声を立て合って身にしむ気が多くすることから、人目を遠慮していずに逢いに行きたいとさえ源氏は思った。

216 夕潮満ち来て入江の鶴も声惜しまぬほど 「難波潟潮満ち来らし雨衣田蓑の島に鶴鳴き渡る」(古今集雑上、九一三、読人しらず)による叙景。

217 あはれなる折からなればにや 「にや」連語。断定の助動詞「なり」の連用形「に」+「や」疑問の係助詞。語り手の推測を挿入。

 「露けさの昔に似たる旅衣
  田蓑の島の名には隠れず」

    "Tuyukesa no mukasi ni ni taru tabigoromo
    Tamino-no-sima no na ni ha kakure zu

 「涙に濡れる旅の衣は、昔、海浜を流浪した時と同じようだ
  田蓑の島という名の蓑の名には身は隠れないので」

  露けさの昔に似たる旅衣たびごろも
  田蓑たみのの島の名には隠れず

218 露けさの昔に似たる旅衣--田蓑の島の名には隠れず 源氏の独詠歌。「雨により田蓑の島を今日行けど名には隠れぬものにぞありける」(古今集雑上、九一八、貫之)を引歌とする。「昔」は須磨明石流離の時期をさす。

 道のままに、かひある逍遥遊びののしりたまへど、御心にはなほかかりて思しやる。遊女どもの集ひ参れる、上達部と聞こゆれど、若やかにこと好ましげなるは、皆、目とどめたまふべかめり。されど、「いでや、をかしきことも、もののあはれも、人からこそあべけれ。なのめなることをだに、すこしあはき方に寄りぬるは、心とどむるたよりもなきものを」と思すに、おのが心をやりて、よしめきあへるも疎ましう思しけり。

  Miti no mama ni, kahi aru seuyeu asobi nonosiri tamahe do, mikokoro ni ha naho kakari te obosiyaru. Asobi-domo no tudohi mawire ru, Kamdatime to kikoyure do, wakayaka ni koto konomasige naru ha, mina, me todome tamahu beka' meri. Saredo, "Ideya, wokasiki koto mo, mono no ahare mo, hito kara koso a' bekere. Nanome naru koto wo dani, sukosi ahaki kata ni yori nuru ha, kokoro todomuru tayori mo naki mono wo." to obosu ni, onoga kokoro wo yari te, yosimeki ahe ru mo utomasiu obosi keri.

 道すがら、結構な遊覧や奏楽をして大騷ぎなさるが、お心にはなおも掛かって思いをお馳せになる。遊女連中が集まって参っているが、上達部と申し上げても、若々しく風流好みの方は、皆、目を留めていらっしゃるようである。けれども、「さあ、風流なことも、ものの情趣も、相手の人柄によるものだろう。普通の恋愛でさえ、少し浮ついたものは、心を留める点もないものだから」とお思いになると、自分の心の赴くままに、嬌態を演じあっているのも、嫌に思われるのであった。

 と源氏は歌われるのであった。遊覧の旅をおもしろがっている人たちの中で源氏一人は時々暗い心になった。高官であっても若い好奇心に富んだ人は、小船をがせて集まって来る遊女たちに興味を持つふうを見せる。源氏はそれを見てにがにがしい気になっていた。恋のおもしろさも対象とする者に尊敬すべき価値が備わっていなければ起こってこないわけである。恋愛というほどのことではなくても、軽薄な者には初めから興味が持てないわけであるのにと思って、彼女らを相手にはしゃいでいる人たちを軽蔑けいべつした。

219 目とどめたまふべかめり 「べかめり」複合語。強い主観的推量のニュアンス。目を留めていらっしゃるに違いないようである、の意。

220 いでや 以下「なきものを」まで、源氏の心中。明石の君のことを思うゆえに、遊女には無関心。

221 おのが心をやりてよしめきあへるも 源氏の目から見た遊女のありさま。

第五段 明石の君、翌日住吉に詣でる

 かの人は、過ぐしきこえて、またの日ぞ吉ろしかりければ、御幣たてまつる。ほどにつけたる願どもなど、かつがつ果たしける。また、なかなかもの思ひ添はりて、明け暮れ、口惜しき身を思ひ嘆く。

  Kano hito ha, sugusi kikoye te, matanohi zo yorosikari kere ba, mitegura tatematuru. Hodo ni tuke taru gwan-domo nado, katugatu hatasi keru. Mata, nakanaka monoomohi sohari te, akekure, kutiwosiki mi wo omohi nageku.

 あの人は、通り過ぎるのをお待ち申して、次の日が日柄も悪くはなかったので、幣帛を奉る。身分相応の願ほどきなど、ともかくも済ませたのであった。また一方、かえって物思いが加わって、朝に晩に、取るに足らない身の上を嘆いている。

 明石の君は源氏の一行が浪速なにわを立った翌日は吉日でもあったから住吉へ行って御幣みてぐらを奉った。その人だけの願も果たしたのである。郷里へ帰ってからは以前にも増した物思いをする人になって、人数ひとかずでない身の上をなげき暮らしていた。

222 またなかなかもの思ひ添はりて 『集成』は「(源氏方の盛大な願果しを目のあたりにしたために)住吉参詣が、かえって物思いを増すことになって」と注す。

 今や京におはし着くらむと思ふ日数も経ず、御使あり。このころのほどに迎へむことをぞのたまへる。

  Ima ya Kyau ni ohasi tuku ram to omohu hikazu mo he zu, ohom-tukahi ari. Konokoro no hodo ni mukahe m koto wo zo notamahe ru.

 今頃は京にお着きになっただろうと思われる日数もたたないうちに、お使いがある。近々のうちに迎えることをおっしゃっていた。

 もう京へ源氏の着くころであろうと思ってから間もなく源氏の使いが明石へ来た。近いうちに京へ迎えたいという手紙を持って来たのである。

 「いと頼もしげに、数まへのたまふめれど、いさや、また、島漕ぎ離れ、中空に心細きことやあらむ」

  "Ito tanomosige ni, kazumahe notamahu mere do, isaya, mata, sima kogi hanare, nakazora ni kokorobosoki koto ya ara m?"

 「とても頼りがいありそうに、一人前に扱ってくださるようだけれども、どうかしら、また、故郷を出て、どっちつかずの心細い思いをするのではないかしら」

 頼もしいふうに恋人の一人として認められている自分であるが、故郷を立って京へ出たのちにまで源氏の愛は変わらずに続くものであろうかと考えられることによって

223 いと頼もしげに 以下「心細きことやあらむ」まで、明石の君の心中。

224 島漕ぎ離れ 「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島漕ぎ離れ行く舟をしぞ思ふ」(古今集羈旅、四〇九、読人しらず)を踏まえた措辞。

 と、思ひわづらふ。

  to, omohi wadurahu.

と思い悩む。

 女は苦しんでいた。

 入道も、さて出だし放たむは、いとうしろめたう、さりとて、かく埋もれ過ぐさむを思はむも、なかなか来し方の年ごろよりも、心尽くしなり。よろづにつつましう、思ひ立ちがたきことを聞こゆ。

  Nihudau mo, sate idasi hanata m ha, ito usirometau, saritote, kaku udumore sugusa m wo omoha m mo, nakanaka kisikata no tosigoro yori mo, kokorodukusi nari. Yorodu ni tutumasiu, omohitati gataki koto wo kikoyu.

 入道も、そのように手放すのは、まことに不安で、そうかといって、このように埋もれて過すことを考えると、かえって今までよりも、物思いが増す。いろいろと気後れがして、決心しがたい旨を申し上げる。

 入道も手もとから娘を離してやることは不安に思われるのであるが、そうかといってこのまま田舎に置くことも悲惨な気がして源氏との関係が生じなかった時代よりもかえって苦労は多くなったようであった。女からは源氏をめぐるまぶしい人たちの中へ出て行く自信がなくて出京はできないという返事をした。

第五章 光る源氏の物語 冷泉帝後宮の入内争い

第一段 斎宮と母御息所上京

 まことや、かの斎宮も替はりたまひにしかば、御息所上りたまひてのち、変はらぬさまに何ごとも訪らひきこえたまふことは、ありがたきまで、情けを尽くしたまへど、「昔だにつれなかりし御心ばへの、なかなかならむ名残は見じ」と、思ひ放ちたまへれば、渡りたまひなどすることはことになし。

  Makoto ya, kano Saiguu mo kahari tamahi ni sika ba, Miyasumdokoro nobori tamahi te noti, kahara nu sama ni nanigoto mo toburahi kikoye tamahu koto ha, arigataki made, nasake wo tukusi tamahe do, "Mukasi dani turenakari si mikokorobahe no, nakanaka nara m nagori ha mi zi." to, omohi hanati tamahe re ba, watari tamahi nado suru koto ha koto ni nasi.

 そう言えば、あの斎宮もお代わりになったので、御息所も上京なさって後、昔と変わりなく何くれとなくお見舞い申し上げなさることは、世にまたとないほど、お心を尽くしてなさるが、「昔でさえ冷淡であったお気持ちを、なまじ会うことによって、かえって、昔ながらのつらい思いをすることはするまい」と、きっぱりと思い絶っていらしたので、お出向きになることはない。

 この御代みよになった初めに斎宮もお変わりになって、六条の御息所みやすどころ伊勢いせから帰って来た。それ以来源氏はいろいろと昔以上の好意を表しているのであるが、なお若かった日すらも恨めしい所のあった源氏の心のいわば余炎ほどの愛を受けようとは思わない、もう二人に友人以上の交渉があってはならないと御息所は決めていたから、源氏も自身で訪ねて行くようなことはしないのである。

225 まことや、かの斎宮も替はりたまひにしかば 御世代わりによって斎宮上京。源氏、御息所を見舞う。

226 昔だに 以下「名残は見じ」まで、御息所の心中。

 あながちに動かしきこえたまひても、わが心ながら知りがたく、とかくかかづらはむ御歩きなども、所狭う思しなりにたれば、強ひたるさまにもおはせず。

  Anagati ni ugokasi kikoye tamahi te mo, waga kokoro nagara siri gataku, tokaku kakaduraha m ohom-ariki nado mo, tokoroseu obosi nari ni tare ba, sihi taru sama ni mo, ohase zu.

 無理してお心を動かし申しなさったところで、自分ながら先々どう変わるかわからず、あれこれと関わりになるお忍び歩きなども、窮屈にお思いになっていたので、無理してお出向きにもならない。

 しいて旧情をあたためることに同意をさせても、自分ながらもまた女を恨めしがらせる結果にならないとは保証ができないというように源氏は思っていたし、女の家へ通うことなども今では人目を引くことが多くなっていることでもあって、待つと言わない人をしいて訪ねて行くことはしなかった。

227 あながちに動かしきこえたまひても 以下、源氏の心中と地の文が融合した文章。「たまひ」があるので、地の文である。

228 わが心ながら知りがたく 『集成』は「生霊事件でいったんうとましく思ったことがあるので、御息所への気持は、源氏自身にも自信が持てない」と注す。

 斎宮をぞ、「いかにねびなりたまひぬらむ」と、ゆかしう思ひきこえたまふ。

  Saiguu wo zo, "Ikani nebi nari tamahi nu ram?" to, yukasiu omohi kikoye tamahu.

 斎宮を、「どんなにご成人なさったろう」と、お会いしてみたくお思いになる。

 斎宮がどんなにりっぱな貴女きじょになっておいでになるであろうと、それを目に見たく思っていた。

229 いかにねびなりたまひぬらむ 源氏の心中。斎宮、二十歳。

 なほ、かの六条の旧宮をいとよく修理しつくろひたりければ、みやびかにて住みたまひけり。よしづきたまへること、旧りがたくて、よき女房など多く、好いたる人の集ひ所にて、ものさびしきやうなれど、心やれるさまにて経たまふほどに、にはかに重くわづらひたまひて、もののいと心細く思されければ、罪深き所ほとりに年経つるも、いみじう思して、尼になりたまひぬ。

  Naho, kano Rokudeu no hurumiya wo ito yoku suri si tukurohi tari kere ba, miyabika nite sumi tamahi keri. Yosiduki tamahe ru koto, huri gataku te, yoki nyoubau nado ohoku, sui taru hito no tudohi dokoro nite, mono-sabisiki yau nare do, kokoroyare ru sama nite he tamahu hodo ni, nihaka ni omoku wadurahi tamahi te, mono no ito kokorobosoku obosa re kere ba, tumi hukaki tokoro hotori ni tosi he turu mo, imiziu obosi te, ama ni nari tamahi nu.

 昔どおり、あの六条の旧邸をたいそうよく修理なさったので、優雅にお住まいになっているのであった。風雅でいらっしゃること、変わらないままで、優れた女房などが多く、風流な人々の集まる所で、何となく寂しいようであるが、気晴らしをなさってお暮らしになっているうちに、急に重くお患いになられて、たいそう心細い気持ちにおなりになったので、仏道を忌む所辺りに何年も過ごしていたことも、ひどく気になさって、尼におなりになった。

 御息所は六条の旧邸をよく修繕してあくまでも高雅なふうに暮らしていた。洗練された趣味は今も豊かで、よい女房の多い所として風流男の訪問が絶えない。寂しいようではあるが思い上がった貴女にふさわしい生活であると見えたが、にわかに重い病気になって心細くなった御息所は、伊勢という神の境にあって仏教に遠ざかっていた幾年かのことが恐ろしく思われて尼になった。

230 罪深き所ほとりに 大島本は「つみふかきところほとりに」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「罪深き所に」と「ほとり」を削除する。大島本の「ところほとり」は「ところ」と「ほとり」の合成本文であろう。伊勢神宮をさす。仏道から離れた生活であるので、こういう。源氏との愛執の罪の上に更に神域に長年過ごし、仏道から遠ざかっていたことを思う。

231 いみじう思して 『集成』は「仏道修行から遠ざかっていたので、来世にどんな報いがあるかと、恐ろしく思われて」と注す。

 大臣、聞きたまひて、かけかけしき筋にはあらねど、なほさる方のものをも聞こえあはせ、人に思ひきこえつるを、かく思しなりにけるが口惜しうおぼえたまへば、おどろきながら渡りたまへり。飽かずあはれなる御訪らひ聞こえたまふ。

  Otodo, kiki tamahi te, kakekakesiki sudi ni ha ara ne do, naho saru kata no mono wo mo kikoye ahase, hito ni omohi kikoye turu wo, kaku obosi nari ni keru ga kutiwosiu oboye tamahe ba, odoroki nagara watari tamahe ri. Aka zu ahare naru ohom-toburahi kikoye tamahu.

 内大臣、お聞きになって、色恋といった仲ではないが、やはり風雅に関することでのお話相手になるお方とお思い申し上げていたのを、このようにご決意なさったのが残念に思われなさって、驚いたままお出向きになった。いつ尽きるともないしみじみとしたお見舞いの言葉を申し上げになる。

 源氏は聞いて、恋人として考えるよりも、首肯される意見を持つよき相談相手と信じていたその人の生命いのちが惜しまれて、驚きながら六条邸を見舞った。

232 なほさる方のものをも聞こえあはせ人に思ひきこえつるを 「さる方」は風雅の方面をさす。「を」について、『集成』は「やはり、風雅に関することでお話相手になる方とお思い申していたのに」と逆接の意に、一方『完訳』は「やはり何かといえば恰好なお話相手になるお方と存じ上げていたのだから」と順接の意に解す。

 近き御枕上に御座よそひて、脇息におしかかりて、御返りなど聞こえたまふも、いたう弱りたまへるけはひなれば、「絶えぬ心ざしのほどは、え見えたてまつらでや」と、口惜しうて、いみじう泣いたまふ。

  Tikaki ohom-makuragami ni omasi yosohi te, kehusoku ni osikakari te, ohom-kaheri nado kikoye tamahu mo, itau yowari tamahe ru kehahi nare ba, "Taye nu kokorozasi no hodo ha, e miye tatematura de ya?" to, kutiwosiu te, imiziu nai tamahu.

 お近くの御枕元にご座所を設けて、脇息に寄り掛かって、お返事などを申し上げなさるのも、たいそう衰弱なさっている感じなので、「いつまでも変わらない心の中を、お分かり頂けないままになるのではないか」と、残念に思われて、ひどくお泣きになる。

 源氏は真心から御息所をいたわり、御息所を慰める言葉を続けた。病床の近くに源氏の座があって、御息所は脇息きょうそくに倚りかかりながらものを言っていた。非常に衰弱の見える昔の恋人のために源氏は泣いた。

233 絶えぬ心ざしのほどはえ見えたてまつらでや 源氏の心中。

第二段 御息所、斎宮を源氏に託す

 かくまでも思しとどめたりけるを、女も、よろづにあはれに思して、斎宮の御ことをぞ聞こえたまふ。

  Kaku made mo obosi todome tari keru wo, Womna mo, yorodu ni ahare ni obosi te, Saiguu no ohom-koto wo zo kikoye tamahu.

 こんなにまでもお心に掛けていたのを、女も、万感胸に迫る思いになって、斎宮の御事をお頼み申し上げになる。

 どれほど愛していたかをこの人に実証して見せることができないままで死別をせねばならぬかと残念でならないのである。この源氏の心が御息所に通じたらしくて、誠意の認められる昔の恋人に御息所は斎宮のことを頼んだ。

234 かくまでも思しとどめたりけるを 『完訳』は「「けり」は、源氏の深い志にあらためて気づく気持。次の「女」も男女関係を強調した呼称で、御息所の源氏への感動の文脈を形成」と注す。

 「心細くてとまりたまはむを、かならず、ことに触れて数まへきこえたまへ。また見ゆづる人もなく、たぐひなき御ありさまになむ。かひなき身ながらも、今しばし世の中を思ひのどむるほどは、とざまかうざまにものを思し知るまで、見たてまつらむことこそ思ひたまへつれ」

  "Kokorobosoku te tomari tamaha m wo, kanarazu, koto ni hure te kazumahe kikoye tamahe. Mata miyuduru hito mo naku, taguhi naki ohom-arisama ni nam. Kahinaki mi nagara mo, ima sibasi yononaka wo omohi nodomuru hodo ha, tozamakauzama ni mono wo obosi siru made, mi tatematura m koto koso omohi tamahe ture."

 「心細い状況で先立たれなさるのを、きっと、何かにつけて面倒を見て上げてくださいまし。また他に後見を頼む人もなく、この上もなくお気の毒な身の上でございまして。何の力もないながらも、もうしばらく平穏に生き長らえていられるうちは、あれやこれや物の分別がおつきになるまでは、お世話申そうと存じておりましたが」

 「孤児になるのでございますから、何かの場合に子の一人と思ってお世話をしてくださいませ。ほかに頼んで行く人はだれもない心細い身の上なのです。私のような者でも、もう少し人生というもののわかる年ごろまでついていてあげたかったのです」

235 心細くてとまりたまはむを 以下「思ひたまへつれ」まで、御息所の詞。源氏に斎宮の事を頼む。
【とまりたまはむを】-「を」、接続助詞、順接また逆接。あるいは格助詞、目的格とも解せる。『集成』は「お一人であとにお残りになりますが」。『完訳』は「心細い有様でこの世にお残りになるでしょうから」と解す。

236 こそ思ひたまへつれ 「こそ」係助詞。「つれ」完了の助動詞、已然形。係結び、逆接用法。強調と余意・余情の表現。『完訳』は「逆接の文脈で、下に、しかし今は生命尽きた、の意を補い読む」と注す。

 とても、消え入りつつ泣いたまふ。

  tote mo, kiyeiri tutu nai tamahu.

 と言って、息も絶え絶えにお泣きになる。

 こう言ったあとで、そのまま気を失うのではないかと思われるほど御息所は泣き続けた。

 「かかる御ことなくてだに、思ひ放ちきこえさすべきにもあらぬを、まして、心の及ばむに従ひては、何ごとも後見きこえむとなむ思うたまふる。さらに、うしろめたくな思ひきこえたまひそ」

  "Kakaru ohom-koto naku te dani, omohi hanati kikoye sasu beki ni mo ara nu wo, masite, kokoro no oyoba m ni sitagahi te ha, nanigoto mo usiromi kikoye m to nam omou tamahuru. Sarani, usirometaku na omohi kikoye tamahi so."

 「このようなお言葉がなくてでさえも、放ってお置き申すことはあるはずもないのに、ましてや、気のつく限りは、どのようなことでもご後見申そうと存じております。けっして、ご心配申されることはありません」

 「あなたのお言葉がなくてもむろん私は父と変わらない心で斎宮を思っているのですから、ましてあなたが御病中にもこんなに御心配になって私へお話しになることは、どこまでも責任を持ってお受け合いします。気がかりになどは少しもお思いになることはありませんよ」

237 かかる御ことなくてだに 以下「な思ひきこえたまひそ」まで、源氏の詞。承知しているので心配するな、と慰める。「だに」副助詞、下文に「まして」副詞と呼応した文脈。

238 さらにうしろめたく 「さらに」副詞、下の「な」--「そ」に係って、全然心配するな、という禁止の意。

 など聞こえたまへば、

  nado kikoye tamahe ba,

 などと申し上げなさると、

 などと源氏が言うと、

 「いとかたきこと。まことにうち頼むべき親などにて、見ゆづる人だに、女親に離れぬるは、いとあはれなることにこそはべるめれ。まして、思ほし人めかさむにつけても、あぢきなき方やうち交り、人に心も置かれたまはむ。うたてある思ひやりごとなれど、かけてさやうの世づいたる筋に思し寄るな。憂き身を抓みはべるにも、女は、思ひの外にてもの思ひを添ふるものになむはべりければ、いかでさる方をもて離れて、見たてまつらむと思うたまふる」

  "Ito kataki koto. Makoto ni uti-tanomu beki oya nado ni te, miyuduru hito dani, meoya ni hanare nuru ha, ito ahare naru koto ni koso haberu mere. Masite, omohosi hitomekasa m ni tuke te mo, adikinaki kata ya uti-maziri, hito ni kokoro mo oka re tamaha m. Utate aru omohiyarigoto nare do, kakete sayau no yodui taru sudi ni obosiyoru na. Uki mi wo tumi haberu ni mo, womna ha, omohi no hoka nite monoomohi wo sohuru mono ni nam haberi kere ba, ikade saru kata wo mote-hanare te, mi tatematura m to omou tamahuru."

 「とても難しいこと。本当に信頼できる父親などで、後を任せられる人がいてさえ、女親に先立たれた娘は、実にかわいそうなもののようでございます。ましてや、ご寵愛の人のようになるにつけても、つまらない嫉妬心が起こり、他の女の人からも憎まれたりなさいましょう。嫌な気のまわしようですが、けっして、そのような色めいたことはお考えくださいますな。悲しいわが身を引き比べてみましても、女というものは、思いも寄らないことで気苦労をするものでございましたので、何とかしてそのようなこととは関係なく、後見していただきたく存じます」

 「でもなかなかお骨の折れることでございますよ。あとを頼まれた人がほんとうの父親であっても、それでも母親のない娘は心細いことだろうと思われますからね。まして恋人の列になどお入れになっては、思わぬ苦労をすることでしょうし、またほかの方を不快にもさせることだろうと思います。悪い想像ですが決してそんなふうにお取り扱いにならないでね。私自身の経験から、あの人は恋愛もせず一生処女でいる人にさせたいと思います」

239 いとかたきこと 以下「思うたまふる」まで、御息所の詞。斎宮を愛人のように扱うなと頼む。

240 まことにうち頼むべき親など 「親」は実の父親。「べき」推量の助動詞、可能。

241 まして思ほし人めかさむにつけても 上の「だに」--「まして」の構文。『完訳』は「それにもまして絶望的な不孝とは--、の気持で続く」と注す。「む」推量の助動詞、仮定また婉曲のニュアンス。『集成』は「まして(父親でもないあなたが面倒をみて下さる際に)ご寵愛の人といったお扱いをなさるとしたら」と訳す。

242 いかでさる方をもて離れて見たてまつらむと思うたまふる 『集成』は「普通の結婚をして妻妾の一人となることを望まぬ気持」。『完訳』は「色恋とは無縁に、の意。娘の生涯の独身をも望んでいるか」と注す。

 など聞こえたまへば、「あいなくものたまふかな」と思せど、

  nado kikoye tamahe ba, "Ainaku mo notamahu kana!" to obose do,

 などと申し上げなさるので、「つまらなことをおっしゃるな」とお思いになるが、

 御息所はこう言った。意外な忖度そんたくまでもするものであると思ったが源氏はまた、

243 あいなくものたまふかな 源氏の心中。『完訳』は「痛くもない腹を探られる思い。実際には娘への関心がひそむ」と注す。

 「年ごろに、よろづ思うたまへ知りにたるものを、昔の好き心の名残あり顔にのたまひなすも本意なくなむ。よし、おのづから」

  "Tosigoro ni, yorodu omou tamahe siri ni taru mono wo, mukasi no sukigokoro no nagori ari gaho ni notamahi nasu mo ho'i naku nam. Yosi, onodukara."

 「ここ数年来、何事も思慮深くなっておりますものを、昔の好色心が今に残っているようにおっしゃいますのは、不本意なことです。いずれ、そのうちに」

 「近年の私がどんなにまじめな人間になっているかをご存じでしょう。昔の放縦な生活の名残なごりをとどめているようにおっしゃるのが残念です。自然おわかりになってくることでしょうが」

244 年ごろによろづ 以下「よしおのづから」まで、源氏の詞。けっして昔のような考えでないから心配することはないという。

 とて、外は暗うなり、内は大殿油のほのかにものより通りて見ゆるを、「もしもや」と思して、やをら御几帳のほころびより見たまへば、心もとなきほどの火影に、御髪いとをかしげにはなやかにそぎて、寄りゐたまへる、絵に描きたらむさまして、いみじうあはれなり。帳の東面に添ひ臥したまへるぞ、宮ならむかし。御几帳のしどけなく引きやられたるより、御目とどめて見通したまへれば、頬杖つきて、いともの悲しと思いたるさまなり。はつかなれど、いとうつくしげならむと見ゆ。

  tote, to ha kurau nari, uti ha ohotonoabura no honoka ni mono yori tohori te miyuru wo, "Mosi mo ya?" to obosi te, yawora mikityau no hokorobi yori mi tamahe ba, kokoromotonaki hodo no hokage ni, migusi ito wokasige ni hanayaka ni sogi te, yoriwi tamahe ru, we ni kaki tara m sama si te, imiziu ahare nari. Tyau no himgasiomote ni sohihusi tamahe ru zo, Miya nara m kasi. Mikityau no sidokenaku hikiyara re taru yori, ohom-me todome te mitohosi tamahe re ba, turaduwe tuki te, ito mono-ganasi to oboi taru sama nari. Hatuka nare do, ito utukusige nara m to miyu.

 と言って、外は暗くなり、内側は大殿油がかすかに物越しに透けて見えるので、「もしや」とお思いになって、そっと御几帳の隙間から御覧になると、頼りなさそうな燈火に、お髪がたいそう美しそうにくっきりと尼削ぎにして、寄り伏していらっしゃる、絵に描いたような様に見えて、ひどく胸を打つ。東面に添い伏していらっしゃるのが斎宮なのであろう。御几帳が無造作に押しやられている隙間から、お目を凝らして見通して御覧になると、頬杖をついてたいそう悲しくお思いの様子である。わずかしか見えないが、とても器量がよさそうに見える。

 と言った。もう外は暗くなっていた。ほのかな灯影ほかげ病牀びょうしょう几帳きちょうをとおしてさしていたから、あるいは見えることがあろうかと静かに寄って几帳のほころびからのぞくと、明るくはない光の中に昔の恋人の姿があった。美しくはなやかに思われるほどに切り残した髪が背にかかっていて、脇息によった姿は絵のようであった。源氏は哀れでたまらないような気がした。帳台の東寄りの所で身を横たえている人は前斎宮でおありになるらしい。几帳のれ絹が乱れた間からじっと目を向けていると、宮は頬杖ほおづえをついて悲しそうにしておいでになる。少ししか見えないのであるが美人らしく見えた。

245 もしもやと 大島本は「もしもや」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「もしや」と「も」を削除する。源氏の心中。斎宮を垣間見できようかと期待。源氏の好色心。

246 絵に描きたらむさましていみじうあはれなり 絵に描いた人のように美しい。尼姿の御息所に対する褒め言葉。

247 東面に添ひ臥したまへるぞ宮ならむかし 「ぞ」係助詞、強調のニュアンス。「かし」終助詞、念押し。語り手の語調。

 御髪のかかりたるほど、頭つき、けはひ、あてに気高きものから、ひちちかに愛敬づきたまへるけはひ、しるく見えたまへば、心もとなくゆかしきにも、「さばかりのたまふものを」と、思し返す。

  Migusi no kakari taru hodo, kasiratuki, kehahi, ate ni kedakaki monokara, hititika ni aigyauduki tamahe ru kehahi, siruku miye tamahe ba, kokoromotonaku yukasiki ni mo, "Sabakari notamahu mono wo." to, obosi kahesu.

 お髪の掛ったところ、頭の恰好、感じ、上品で気高い感じがする一方で、小柄で愛嬌がおありになる感じが、はっきりお見えになるので、心惹かれ好奇心がわいてくるが、「あれほどおっしゃっているのだから」と、お思い直しなさる。

 髪のかかりよう、頭の形などに気高けだかい美が備わりながらまた近代的なはなやかな愛嬌あいきょうのある様子もわかった。御息所があんなに阻止的に言っているのであるからと思って、源氏は動く心をおさえた。

248 ひちちかに 『小学館古語大辞典』に「ひちちかぴちぴちして活気のあるさま。くりくりとして元気なさま。〔語誌〕「ひちち」は「ひちひち」の約で、これに形容動詞語幹をつくる「か」の付いたものであろうが、史記桃源抄に肥満する意で「ひちらぐ」という動詞を使った例があるから、「ひち」はくりくりと太ったさまをいう語ではあるまいか。(山口佳紀)」とある。

249 さばかりのたまふものを 源氏の心中。御息所の言葉を思い出して、自制する。

 「いと苦しさまさりはべる。かたじけなきを、はや渡らせたまひね」

  "Ito kurusisa masari haberu. Katazikenaki wo, haya watara se tamahi ne."

 「とても苦しさがひどくなりました。恐れ多いことですが、もうお引き取りあそばしませ」

 「私はとてもまた苦しくなってまいりました。失礼でございますからもうお帰りくださいませ」

250 いと苦しさまさりはべる 以下「はや渡らせたまひね」まで、御息所の詞。源氏にお引き取りを願う。

 とて、人にかき臥せられたまふ。

  tote, hito ni kaki-huse rare tamahu.

 とおっしゃって、女房に臥せさせられなさる。

 と御息所は言って、女房の手を借りて横になった。

 「近く参り来たるしるしに、よろしう思さればうれしかるべきを、心苦しきわざかな。いかに思さるるぞ」

  "Tikaku mawiri ki taru sirusi ni, yorosiu obosa re ba uresikaru beki wo, kokorogurusiki waza kana! Ikani obosa ruru zo?"

 「お側近くに伺った甲斐があって、いくらか具合がよくなられたのなら、嬉しく存じられるのですが、おいたわしいことです。いかがなお具合ですか」

 「私が伺ったので少しでも御気分がよくなればよかったのですが、お気の毒ですね。どんなふうに苦しいのですか」

251 近く参り来たるしるしに 以下「いかに思さるるぞ」まで、源氏の詞。御息所の病状の安否を気づかう。

 とて、覗きたまふけしきなれば、

  tote, nozoki tamahu kesiki nare ba,

 と言って、お覗きになる様子なので、

 と言いながら、源氏がとこをのぞこうとするので、御息所は女房に別れの言葉を伝えさせた。

 「いと恐ろしげにはべるや。乱り心地のいとかく限りなる折しも渡らせたまへるは、まことに浅からずなむ。思ひはべることを、すこしも聞こえさせつれば、さりともと、頼もしくなむ」

  "Ito osorosige ni haberu ya! Midarigokoti no ito kaku kagiri naru wori simo watara se tamahe ru ha, makoto ni asakara zu nam. Omohi haberu koto wo, sukosi mo kikoye sase ture ba, saritomo to, tanomosiku nam."

 「たいそうひどい格好でございますよ。病状が本当にこれが最期と思われる時に、ちょうどお越しくださいましたのは、まことに深いご宿縁であると思われます。気にかかっていたことを、少しでもお話申し上げましたので、死んだとしても、頼もしく思われます」

 「長くおいでくださいましては物怪もののけの来ている所でございますからおあぶのうございます。病気のこんなに悪くなりました時分に、おいでくださいましたことも深い御因縁のあることとうれしく存じます。平生思っておりましたことを少しでもお話のできましたことで、あなたは遺族にお力を貸してくださるでしょうと頼もしく思われます」

252 いと恐ろしげにはべるや 以下「頼もしくなむ」まで、御息所の詞。源氏に対する感謝とお礼。

253 浅からずなむ 「なむ」係助詞、結びの省略。強調と余意・余情のニュアンス。宿縁の深さをいう。

254 思ひはべることを 娘斎宮の将来に関すること。

 と聞こえさせたまふ。

  to kikoye sase tamahu.

 と、お申し上げになる。


255 聞こえさせたまふ 「聞こえさす」丁重な謙譲語。厳粛なお礼の言葉。

 「かかる御遺言の列に思しけるも、いとどあはれになむ。故院の御子たち、あまたものしたまへど、親しくむつび思ほすも、をさをさなきを、主上の同じ御子たちのうちに数まへきこえたまひしかば、さこそは頼みきこえはべらめ。すこしおとなしきほどになりぬる齢ながら、あつかふ人もなければ、さうざうしきを」

  "Kakaru ohom-yuigon no tura ni obosi keru mo, itodo ahare ni nam. Ko-Win no Miko-tati, amata monosi tamahe do, sitasiku mutubi omohosu mo, wosawosa naki wo, Uhe no onazi Miko-tati no uti ni kazumahe kikoye tamahi sika ba, sakoso ha tanomi kikoye habera me. Sukosi otonasiki hodo ni nari nuru yohahi nagara, atukahu hito mo nakere ba, sauzausiki wo."

 「このようなご遺言を承る一人にお考えくださったのも、ますます恐縮に存じます。故院の御子たちが、大勢いらっしゃるが、親しく思ってくださる方は、ほとんどおりませんが、院の上がご自分の皇女たちと同じようにお考え申されていらしたので、そのようにお頼み申しましょう。多少一人前といえるような年齢になりましたが、お世話するような姫君もいないので、寂しく思っていたところでしたから」

 「大事な御遺言を私にしてくださいましたことをうれしく存じます。院の皇女がたはたくさんいらっしゃるのですが、私と親しくしてくださいます方はあまりないのですから、斎宮を院が御自身の皇女の列に思召おぼしめされましたとおりに私も思いまして、兄弟としてむつまじくいたしましょう。それに私はもう幾人もの子があってよい年ごろになっているのですから、私の物足りなさを斎宮は補ってくださるでしょう」

256 かかる御遺言の列に 以下「さうざうしきを」まで、源氏の詞。斎宮を養女にしたい旨を申し出る。

257 主上の同じ御子たちのうちに数まへきこえたまひしかば 故桐壺院が斎宮を自分のお子の一人として扱ってくださった。「葵」巻に見える。

 など聞こえて、帰りたまひぬ。御訪らひ、今すこしたちまさりて、しばしば聞こえたまふ。

  nado kikoye te, kaheri tamahi nu. Ohom-toburahi, ima sukosi tati-masari te, sibasiba kikoye tamahu.

 などと申し上げて、お帰りになった。お見舞い、以前よりもっとねんごろに頻繁にお訪ねになる。

 などと言い置いて源氏は帰った。それからは源氏の見舞いの使いが以前よりもまた繁々しげしげ行った。

第三段 六条御息所、死去

 七、八日ありて亡せたまひにけり。あへなう思さるるに、世もいとはかなくて、もの心細く思されて、内裏へも参りたまはず、とかくの御ことなど掟てさせたまふ。また頼もしき人もことにおはせざりけり。古き斎宮の宮司など、仕うまつり馴れたるぞ、わづかにことども定めける。

  Nanuka, yauka ari te use tamahi ni keri. Ahenau obosa ruru ni, yo mo ito hakanaku te, mono-kokorobosoku obosa re te, Uti he mo mawiri tamaha zu, tokaku no ohom-koto nado okite sase tamahu. Mata tanomosiki hito mo koto ni ohase zari keri. Huruki Saiguu no Miyadukasa nado, tukaumaturi nare taru zo, waduka ni koto-domo sadame keru.

 七、八日あって、お亡くなりになったのであった。あっけなくお思いなさるにつけて、人の寿命もまことはかなくて、何となく心細くお思いになって、内裏へも参内なさらず、あれこれと御葬送のことなどをお指図なさる。他に頼りになる人が格別いらっしゃらないのであった。かつての斎宮の宮司など、前々から出入りしていた者が、なんとか諸事を取り仕切ったのであった。

 そうして七、八日ののちに御息所は死んだ。無常の人生が悲しまれて、心細くなった源氏は参内もせずに引きこもっていて、御息所の葬儀についての指図さしずを下しなどしていた。前の斎宮司の役人などで親しく出入りしていた者などがわずかに来て葬式の用意に奔走するにすぎない六条邸であった。

258 七八日ありて亡せたまひにけり 源氏が見舞ってから、七、八日後に六条御息所死去する。

 御みづからも渡りたまへり。宮に御消息聞こえたまふ。

  Ohom-midukara mo watari tamahe ri. Miya ni ohom-seusoko kikoye tamahu.

 君ご自身もお越しになった。宮にご挨拶申し上げなさる。

侍臣を送ったあとで源氏自身も葬家へ来た。斎宮に弔詞を取り次がせると、

 「何ごともおぼえはべらでなむ」

  "Nanigoto mo oboye habera de nam."

 「何もかもどうしてよいか分からずにおります」

 「ただ今は何事も悲しみのためにわかりませんので」

259 何ごともおぼえはべらでなむ 斎宮の詞。女別当をして伝える。

 と、女別当して、聞こえたまへり。

  to, Nyobe'tau site, kikoye tamahe ri.

 と、女別当を介して、お伝え申された。

 と女別当にょべっとうを出してお言わせになった。

 「聞こえさせ、のたまひ置きしこともはべしを、今は、隔てなきさまに思されば、うれしくなむ」

  "Kikoyesase, notamahi oki si koto mo habe si wo, ima ha, hedate naki sama ni obosa re ba, uresiku nam."

 「お話し申し上げ、またおっしゃられたことがございましたので、今は、隔意なくお思いいただければ、嬉しく存じます」

 「私に御遺言をなすったこともありますから、ただ今からは私をむつまじい者と思召おぼしめしてくださいましたらしあわせです」

260 聞こえさせのたまひ置きしことも 以下「うれしくなむ」まで、源氏の詞。「聞こえさせ」謙譲語の主語は源氏。「のたまひおきし」尊敬語の主語は御息所。

 と聞こえたまひて、人びと召し出でて、あるべきことども仰せたまふ。いと頼もしげに、年ごろの御心ばへ、取り返しつべう見ゆ。いといかめしう、殿の人びと、数もなう仕うまつらせたまへり。あはれにうち眺めつつ、御精進にて、御簾下ろしこめて行はせたまふ。

  to kikoye tamahi te, hitobito mesi ide te, arubeki koto-domo ohose tamahu. Ito tanomosige ni, tosigoro no mikokorobahe, torikahesi tu beu miyu. Ito ikamesiu, Tono no hitobito, kazu mo nau tukaumatura se tamahe ri. Ahare ni uti-nagame tutu, ohom-sauzin nite, misu orosi kome te okonaha se tamahu.

 と申し上げなさって、女房たちを呼び出して、なすべきことどもをお命じになる。たいそう頼もしい感じで、長年の冷淡なお気持ちも、償われそうに見える。実に厳かに、邸の家司たち、大勢お仕えさせなさった。しみじみと物思いに耽りながら、ご精進の生活で、御簾を垂れこめて勤行をおさせになる。

 と源氏は言ってから、宮家の人々を呼び出していろいろすることを命じた。非常に頼もしい態度であったから、昔は多少恨めしがっていた一家の人々の感情も解消されていくようである。源氏のほうから葬儀員が送られ、無数の使用人が来て御息所の葬儀はきらやかに執行されたのであった。源氏は寂しい心を抱いて、昔を思いながら居間の御簾みすろしこめて精進の日を送り仏勤めをしていた。

261 あはれにうち眺めつつ 主語は源氏。

262 行はせたまふ 「せ」について、『集成』は「僧に勤行をおさせになる」と使役の助動詞の意に解し、『完訳』は「お勤行をなさる」と尊敬の助動詞、源氏自身のことと解す。

 宮には、常に訪らひきこえたまふ。やうやう御心静まりたまひては、みづから御返りなど聞こえたまふ。つつましう思したれど、御乳母など、「かたじけなし」と、そそのかしきこゆるなりけり。

  Miya ni ha, tuneni toburahi kikoye tamahu. Yauyau mikokoro sidumari tamahi te ha, midukara ohom-kaheri nado kikoye tamahu. Tutumasiu obosi tare do, ohom-menoto nado, "Katazikenasi." to, sosonokasi kikoyuru nari keri.

 宮には、常にお見舞い申し上げなさる。だんだんとお心がお静まりになってからは、ご自身でお返事などを申し上げなさる。気詰りにお思いになっていたが、御乳母などが、「恐れ多うございます」と、お勧め申し上げるのであった。

 前斎宮へは始終見舞いの手紙を送っていた。宮のお悲しみが少し静まってきたころからは御自身で返事もお書きになるようになった。それを恥ずかしく思召すのであったが、乳母めのとなどから、「もったいないことでございますから」と言って、自筆で書くことをお勧められになるのである。

263 かたじけなし 乳母の詞。その要旨であろう。代筆では恐れ多いの意。

 雪、霙、かき乱れ荒るる日、「いかに、宮のありさま、かすかに眺めたまふらむ」と思ひやりきこえたまひて、御使たてまつれたまへり。

  Yuki, mizore, kaki-midare aruru hi, "Ikani, Miya no arisama, kasuka ni nagame tamahu ram?" to omohiyari kikoye tamahi te, ohom-tukahi tatemature tamahe ri.

 雪、霙、降り乱れる日、「どんなに、宮邸の様子は、心細く物思いに沈んでいられるだろうか」とご想像なさって、お使いを差し向けなさった。

 雪がみぞれとなり、また白く雪になるような荒日和あれびよりに、宮がどんなに寂しく思っておいでになるであろうと想像をしながら源氏は使いを出した。

264 雪霙かき乱れ荒るる日 『完訳』は「厳冬のころであろう。次の「降りみだれ--」の歌が御息所死後の四十九日に近いとすれば、御息所の死は初冬ごろとみられる」と注す。

265 いかに宮のありさま 以下「ながめたまふらむ」まで、源氏の心中。斎宮を気づかう。

 「ただ今の空を、いかに御覧ずらむ。

  "Tada ima no sora wo, ikani goranzu ram?

 「ただ今の空の様子を、どのように御覧になっていられますか。

  こういう天気の日にどういうお気持ちでいられますか。

266 ただ今の空をいかに御覧ずらむ 源氏の斎宮への手紙。和歌を付ける。

  降り乱れひまなき空に亡き人の
  天翔るらむ宿ぞ悲しき」

    Huri midare hima naki sora ni naki hito no
    amakakeru ram yado zo kanasiki

  雪や霙がしきりに降り乱れている中空を、亡き母宮の御霊が
  まだ家の上を離れずに天翔けっていらっしゃるのだろうと悲しく思われます」

  降り乱れひまなき空にき人の
  あまがけるらん宿ぞ悲しき

267 降り乱れひまなき空に亡き人の--天翔るらむ宿ぞ悲しき 源氏の斎宮への贈歌。『完訳』は「死後四十九日間は霊魂が家を離れないとする仏教観によるか。ここでは、亡母の娘への切実な執心をも思う」と注す。ほとんど技巧のない和歌。次の斎宮の返歌が技巧的なのと対照的である。

 空色の紙の、曇らはしきに書いたまへり。若き人の御目にとどまるばかりと、心してつくろひたまへる、いと目もあやなり。

  Sorairo no kami no, kumorahasiki ni kai tamahe ri. Wakaki hito no ohom-me ni todomaru bakari to, kokoro si te tukurohi tamahe ru, ito me mo aya nari.

 空色の紙の、曇ったような色にお書きになっていた。若い宮のお目にとまるほどにと、心をこめてお書きになっていらっしゃるのが、たいそう見る目にも眩しいほどである。

 という手紙を送ったのである。紙は曇った空色のが用いられてあった。若い人の目によい印象があるようにと思って、骨を折って書いた源氏の字はまぶしいほどみごとであった。

268 空色の紙の曇らはしきに書いたまへり 『集成』は「薄い縹色(藍色)の紙の黒ずんだのに書いておありになる。周囲の景色に合せたものである」。『完訳』「葵の上の喪中にも「空の色」の料紙」と注す。

 宮は、いと聞こえにくくしたまへど、これかれ、

  Miya ha, ito kikoye nikuku si tamahe do, kore kare,

 宮は、ひどくお返事申し上げにくくお思いになるが、誰彼が、

 宮は返事を書きにくく思召したのであるが

 「人づてには、いと便なきこと」

  "Hitodute ni ha, ito bin naki koto."

 「ご代筆では、とても不都合なことです」

 「われわれから御挨拶あいさつをいたしますのは失礼でございますから」

 と責めきこゆれば、鈍色の紙の、いと香ばしう艶なるに、墨つきなど紛らはして、

  to seme kikoyure ba, nibiiro no kami no, ito kaubasiu en naru ni, sumituki nado magirahasi te,

 と、お責め申し上げるので、鈍色の紙で、たいそう香をたきしめた優美な紙に、墨つきの濃淡を美しく交えて、

 と女房たちがお責めするので、灰色の紙の薫香くんこうのにおいを染ませたえんなのへ、目だたぬような書き方にして、

269 鈍色の紙の、いと香ばしう艶なるに、墨つきなど紛らはして 紙の色と墨の色とが似ていて判然としない書きざま。『集成』は「薄鼠色の紙に筆跡が見え隠れし、次の「消えがてに」の歌意にふさわしいものとなる」と注す。

 「消えがてにふるぞ悲しきかきくらし
  わが身それとも思ほえぬ世に」

    "Kiye gateni huru zo kanasiki kaki-kurasi
    wagami sore to mo omohoye nu yo ni

 「消えそうになく生きていますのが悲しく思われます
  毎日涙に暮れてわが身がわが身とも思われません世の中に」

  消えがてにふるぞ悲しきかきくらし
  わが身それとも思ほえぬ世に

270 消えがてにふるぞ悲しきかきくらし--わが身それとも思ほえぬ世に 源氏の「降り乱れ」を受けて「消えがてに降る」と返す。「降る」「経る」の掛詞。「消え」「降る」「かきくらし」は「雪」「霙」の縁語。「わが身それとも」に「霙」を折り込む。大変に技巧的な和歌である。

 つつましげなる書きざま、いとおほどかに、御手すぐれてはあらねど、らうたげにあてはかなる筋に見ゆ。

  Tutumasige naru kakizama, ito ohodoka ni, ohom-te sugure te ha ara ne do, rautage ni atehaka naru sudi ni miyu.

 遠慮がちな書きぶり、とてもおっとりしていて、ご筆跡は優れてはいないが、かわいらしく上品な書風に見える。

 とお書きになった。おとなしい書風で、そしておおようで、すぐれた字ではないが品のあるものであった。

第四段 斎宮を養女とし、入内を計画

 下りたまひしほどより、なほあらず思したりしを、「今は心にかけて、ともかくも聞こえ寄りぬべきぞかし」と思すには、例の、引き返し、

  Kudari tamahi si hodo yori, naho ara zu obosi tari si wo, "Ima ha kokoro ni kake te, tomokakumo kikoyeyori nu beki zo kasi." to obosu ni ha, rei no, hikikahesi,

 下向なさった時から、ただならずお思いであったが、「今はいつでも心に掛けて、どのようにも言い寄ることができるのだ」とお思いになる一方では、いつものように思い返して、

 斎宮になって伊勢へお行きになったころから源氏はこの方に興味を持っていたのである。もう今は忌垣いがきの中の人でもなく、保護者からも解放された一人の女性と見てよいのであるから、恋人として思う心をささやいてよい時になったのであると、こんなふうに思われるのと同時に、それはすべきでない、おかわいそうであると思った。

271 今は心にかけて、ともかくも聞こえ寄りぬべきぞかし 源氏の心中。

 「いとほしくこそ。故御息所の、いとうしろめたげに心おきたまひしを。ことわりなれど、世の中の人も、さやうに思ひ寄りぬべきことなるを、引き違へ、心清くてあつかひきこえむ。主上の今すこしもの思し知る齢にならせたまひなば、内裏住みせさせたてまつりて、さうざうしきに、かしづきぐさにこそ」と思しなる。

  "Itohosiku koso. Ko-Miyasumdokoro no, ito usirometage ni kokorooki tamahi si wo. Kotowari nare do, yononaka no hito mo, sayauni omohiyori nu beki koto naru wo, hikitagahe, kokorokiyoku te atukahi kikoye m. Uhe no ima sukosi mono obosi siru yohahi ni nara se tamahi na ba, Utizumi se sase tatematuri te, sauzausiki ni, kasidukigusa ni koso." to obosi naru.

 「気の毒なことだ。故御息所が、とても気がかりに心配していらしたのだから。当然のことであるが、世間の人々も、同じようにきっと想像するにちがいないことだから、予想をくつがえして、潔白にお世話申し上げよう。主上がもう少し御分別がおつきになる年ごろにおなりあそばしたら、後宮生活をおさせ申し上げて、娘がいなくて物寂しいから、そうお世話する人として」とお考えになった。

 御息所がその点を気づかっていたことでもあるし、世間もその疑いを持って見るであろうことが、自分は全然違った清い扱いを宮にしよう、陛下が今少し大人らしくものを認識される時を待って、前斎宮を後宮に入れよう、子供が少なくて寂しい自分は養女をかしずくことに楽しみを見いだそうと源氏は思いついた。

272 いとほしくこそ 以下「かしづきぐさにこそ」まで、源氏の心中。養女として冷泉帝に入内させることを決意。

273 世の中の人も、さやうに思ひ寄りぬべきことなるを 『集成』は「御息所と同じように邪推をしそうなことだから」と注す。

274 主上の今すこしもの思し知る齢に 冷泉帝は、現在十一歳。すでにこの年二月に元服も済んでいる。

275 さうざうしきにかしづきぐさにこそ 「こそ」係助詞、結びの省略。強調と余意・余情のニュアンス。同主旨のことを御息所の前でも述べていたが、ここは心中文なので、より源氏の本心に近い考え。

 いとまめやかにねむごろに聞こえたまひて、さるべき折々は渡りなどしたまふ。

  Ito mameyaka ni nemgoro ni kikoye tamahi te, sarubeki woriwori ha watari nado si tamahu.

 たいそう誠実で懇切なお便りをさし上げなさって、しかるべき時々にはお出向きなどなさる。

親切に始終尋ねの手紙を送っていて、何かの時には自身で六条邸へ行きもした。

 「かたじけなくとも、昔の御名残に思しなずらへて、気遠からずもてなさせたまはばなむ、本意なる心地すべき」

  "Katazikenaku tomo, mukasi no ohom-nagori ni obosi nazurahe te, kedohokara zu motenasa se tamaha ba nam, ho'i naru kokoti su beki."

 「恐れ多いことですが、亡き御母君のご縁の者とお思いくださって、親しくお付き合いいただければ、本望でございます」

 「失礼ですが、お母様の代わりと思ってくだすって、御遠慮のないおつきあいをくだすったら、私の真心がわかっていただけたという気がするでしょう」

276 かたじけなくとも 以下「心地すべき」まで、源氏の詞。自分を親同様に考えてください、という主旨を述べる。

 など聞こえたまへど、わりなくもの恥ぢをしたまふ奥まりたる人ざまにて、ほのかにも御声など聞かせたてまつらむは、いと世になくめづらかなることと思したれば、人びとも聞こえわづらひて、かかる御心ざまを愁へきこえあへり。

  nado kikoye tamahe do, warinaku mono-hadi wo si tamahu okumari taru hitozama nite, honoka ni mo ohom-kowe nado kika se tatematura m ha, ito yo ni naku meduraka naru koto to obosi tare ba, hitobito mo kikoye wadurahi te, kakaru mikokoro zama wo urehe kikoye ahe ri.

 などと申し上げなさるが、むやみに恥ずかしがりなさる内気な人柄なので、かすかにでもお声などをお聞かせ申すようなことは、とてもこの上なくとんでもないこととお思いになっていたので、女房たちもお返事に困って、このようなご性分をお困り申し上げあっていた。

 などと言うのであるが、宮は非常に内気で羞恥しゅうち心がお強くて、異性にほのかな声でも聞かせることは思いもよらぬことのようにお考えになるのであったから、女房たちも勧めかねて、宮のおとなしさを苦労にしていた。

 「女別当、内侍などいふ人びと、あるは、離れたてまつらぬわかむどほりなどにて、心ばせある人々多かるべし。この、人知れず思ふ方のまじらひをせさせたてまつらむに、人に劣りたまふまじかめり。いかでさやかに、御容貌を見てしがな」

  "Nyobe'tau, Naisi nado ihu hitobito, aruha, hanare tatematura nu wakamdohori nado nite, kokorobase aru hitobito ohokaru besi. Kono, hito sire zu omohu kata no mazirahi wo se sase tatematura m ni, hito ni otori tamahu mazika' meri. Ikade sayaka ni, ohom-katati wo mi te si gana."

 「女別当、内侍などという女房たち、ある者は、同じ御血縁の王孫などで、教養のある人々が多くいるのであろう。この、ひそかに思っている後宮生活をおさせ申すにしても、けっして他の妃たちに劣るようなことはなさそうだ。何とかはっきりと、ご器量を見たいものだ」

 女別当にょべっとう内侍ないし、そのほか御親戚関係の王家の娘などもお付きしているのである。自分の心に潜在している望みが実現されることがあっても、他の恋人たちの中に混じって劣る人ではないらしいこの人の顔を見たいものであると、

277 女別当内侍などいふ人びと 以下「御容貌見てしがな」まで、源氏の心中。斎宮への好色心をのぞかせる。「て」完了の助動詞、確述。「し」副助詞、強調。「がな」願望の終助詞。斎宮の器量を見たいものだ、という強い願望のニュアンス。

 と思すも、うちとくべき御親心にはあらずやありけむ。

  to obosu mo, uti-toku beki ohom-oyagokoro ni ha ara zu ya ari kem?

 とお思いになるのも、すっかり心の許すことのできる御親心ではなかったのであろうか。

 こんなことも思っている源氏であったから、養父として打ちとけない人が聡明そうめいであったのであろう。

278 うちとくべき御親心にはあらずやありけむ 語り手が源氏の心中を忖度した文。『完訳』「恋情を断念しきれていない、とする語り手の評言。次の源氏自身の心内と相応ずる」と注す。

 わが御心も定めがたければ、かく思ふといふことも、人にも漏らしたまはず。御わざなどの御ことをも取り分きてせさせたまへば、ありがたき御心を、宮人もよろこびあへり。

  Waga mikokoro mo sadame gatakere ba, kaku omohu to ihu koto mo, hito ni mo morasi tamaha zu. Ohom-waza nado no ohom-koto wo mo toriwaki te se sase tamahe ba, arigataki mikokoro wo, Miyabito mo yorokobi ahe ri.

 ご自分でもお気持ちが揺れ動いていたので、こう考えているということも、他人にはお漏らしにならない。ご法事の事なども、格別にねんごろにおさせになるので、ありがたいご厚志を、宮家の人々も皆喜んでいた。

 自身の心もまだどうなるかしれないのであるから、前斎宮を入内じゅだいさせる希望などは人に言っておかぬほうがよいと源氏は思っていた。故人の仏事などにとりわけ力を入れてくれる源氏に六条邸の人々は感謝していた。

279 かく思ふ 斎宮を養女として入内させる、ということをさす。

 はかなく過ぐる月日に添へて、いとどさびしく、心細きことのみまさるに、さぶらふ人びとも、やうやうあかれ行きなどして、下つ方の京極わたりなれば、人気遠く、山寺の入相の声々に添へても、音泣きがちにてぞ、過ぐしたまふ。同じき御親と聞こえしなかにも、片時の間も立ち離れたてまつりたまはで、ならはしたてまつりたまひて、斎宮にも親添ひて下りたまふことは、例なきことなるを、あながちに誘ひきこえたまひし御心に、限りある道にては、たぐひきこえたまはずなりにしを、干る世なう思し嘆きたり。

  Hakanaku suguru tukihi ni sohe te, itodo sabisiku, kokorobosoki koto nomi masaru ni, saburahu hitobito mo, yauyau akare yuki nado si te, simotukata no Kyaugoku watari nare ba, hito ke-dohoku, yamadera no iriahi no kowegowe ni sohe te mo, ne naki gati nite zo, sugusi tamahu. Onaziki ohom-oya to kikoye si naka ni mo, katatoki no ma mo tati-hanare tatematuri tamaha de, narahasi tatematuri tamahi te, Saiguu ni mo oya sohi te kudari tamahu koto ha, rei naki koto naru wo, anagati ni izanahi kikoye tamahi si mikokoro ni, kagiri aru miti nite ha, taguhi kikoye tamaha zu nari ni si wo, hiru yo nau obosi nageki tari.

 とりとめもなく過ぎて行く月日につれて、ますます心寂しく、心細いことばかりが増えていくので、お仕えしている女房たちも、だんだんと散り散りに去っていったりなどして、下京の京極辺なので、人の気配も気遠く、山寺の入相の鐘の声々が聞こえてくるにつけても、声を上げて泣く有様で、日を送っていらっしゃる。同じ御母親と申した中でも、片時の間もお離れ申されず、いつもご一緒申していらっしゃって、斎宮にも親が付き添ってお下りになることは、先例のないことであるが、無理にお誘い申し上げなさったお心のほどなのであるが、死出の旅路には、ご一緒申し上げられなかったことを、涙の乾く間もなくお嘆きになっていた。

 六条邸は日がたつにしたがって寂しくなり、心細さがふえてくる上に、御息所みやすどころの女房なども次第に下がって行く者が多くなって、京もずっとしもの六条で、東に寄った京極通りに近いのであるから、郊外ほどの寂しさがあって、山寺の夕べの鐘の音にも斎宮の御涙は誘われがちであった。同じく母といっても、宮と御息所は親一人子一人で、片時離れることもない十幾年の御生活であった。斎宮が母君とごいっしょに行かれることはあまり例のないことであったが、しいてごいっしょにお誘いになったほどの母君が、死の道だけはただ一人でおいでになったとお思いになることが、斎宮の尽きぬお悲しみであった。

280 あかれ行き 大島本は「あ(あ+か)れゆき」と「か」を補入する。『集成』『新大系』は底本の補入に従う。『古典セレクション』は諸本及び底本の訂正以前本文に従ってに従って「散(あ)れゆき」と校訂する。

281 山寺の入相の声々に添へても 「山寺の入相の鐘の声ごとに今日も暮れぬと聞くぞ悲しき」(拾遺集哀傷、一三二九、読人しらず)を引歌とする。

282 立ち離れたてまつりたまはでならはしたてまつりたまひて 主語は斎宮。この前後の物語は斎宮を主人公にして語っている文脈。「たてまつり」謙譲の補助動詞、斎宮の母御息所に対する敬意、「たまは」尊敬の補助動詞、斎宮に対する敬意。次の「たてまつり」「たまひ」も同じ。

283 あながちに誘ひきこえたまひし御心に 「に」格助詞、また接続助詞にも解せる。『集成』の「あえて、母君をお誘い申し上げなさったほどのお気持なので」は順接の文脈。『完訳』の「無理にお誘い申しあげなさったお心であったのに」は逆接の文脈に解す。

 さぶらふ人びと、貴きも賤しきもあまたあり。されど、大臣の、

  Saburahu hitobito, takaki mo iyasiki mo amata ari. Saredo, Otodo no,

 お仕えしている女房たち、身分の高い人も低い人も多数いる。けれども、内大臣が、

 女房たちを仲介にして求婚をする男は各階級に多かったが、源氏は乳母めのとたちに、

 「御乳母たちだに、心にまかせたること、引き出だし仕うまつるな」

  "Ohom-menoto-tati dani, kokoro ni makase taru koto, hikiidasi tukaumaturu na."

 「御乳母たちでさえ、自分勝手なことをしでかしてはならないぞ」

 「自分勝手なことをして問題を起こすようなことを宮様にしてはならない」

284 御乳母たちだに心にまかせたること引き出だし仕うまつるな 源氏の詞。斎宮の結婚への仲立ちを禁じる。「だに」副助詞、最小限の意。乳母たちでさえしてはならぬ、まして他の女房たちは、というニュアンス。

 など、親がり申したまへば、「いと恥づかしき御ありさまに、便なきこと聞こし召しつけられじ」と言ひ思ひつつ、はかなきことの情けも、さらにつくらず。

  nado, oyagari mausi tamahe ba, "Ito hadukasiki ohom-arisama ni, binnaki koto kikosimesi tuke rare zi." to ihi omohi tutu, hakanaki koto no nasake mo, sarani tukura zu.

 などと、親ぶって申していらっしゃったので、「とても立派で気の引けるご様子なので、不始末なことをお耳に入れまい」と言ったり思ったりしあって、ちょっとした色めいた事も、まったくない。

 と親らしい注意を与えていたので、源氏を不快がらせるようなことは慎まねばならぬとおのおの思いもしいさめ合いもしているのである。それで情実のためにどう計らおうというようなことも皆はしなかった。

285 いと恥づかしき 以下「聞こし召しつけられじ」まで、女房たちの詞と心中。

第五段 朱雀院と源氏の斎宮をめぐる確執

 院にも、かの下りたまひし大極殿のいつかしかりし儀式に、ゆゆしきまで見えたまひし御容貌を、忘れがたう思しおきければ、

  Win ni mo, kano kudari tamahi si Daigokuden no itukasikari si gisiki ni, yuyusiki made miye tamahi si ohom-katati wo, wasure gatau obosi oki kere ba,

 院におかせられても、あのお下りになった大極殿での厳かであった儀式の折に、不吉なまでに美しくお見えになったご器量を、忘れがたくお思いおかれていらしたので、

 院は宮が斎宮としてお下りになる日の荘厳だった大極殿だいごくでんの儀式に、この世の人とも思われぬ美貌びぼうを御覧になった時から、恋しく思召されたのであって、帰京後に、

 「参りたまひて、斎院など、御はらからの宮々おはしますたぐひにて、さぶらひたまへ」

  "Mawiri tamahi te, Saiwin nado, ohom-harakara no miya miya ohasimasu taguhi nite, saburahi tamahe."

 「院に参内なさって、斎院など、ご姉妹の宮たちがいらっしゃるのと同じようにして、お暮らしになりなさい」

 「院の御所へ来て、私の妹の宮などと同じようにして暮らしては」

286 参りたまひて斎院など御はらからの宮々おはしますたぐひにてさぶらひたまへ 朱雀院の詞。斎院は桐壺院の女三宮、母弘徽殿大后。「葵」巻で斎院になり、「賢木」巻で桐壺院崩御により、朝顔姫君と交替した。朱雀院の姉妹と同様に院の御所でお暮らしなさいという勧誘、実質的には結婚の申し込み。

 と、御息所にも聞こえたまひき。されど、「やむごとなき人びとさぶらひたまふに、数々なる御後見もなくてや」と思しつつみ、「主上は、いとあつしうおはしますも恐ろしう、またもの思ひや加へたまはむ」と、憚り過ぐしたまひしを、今は、まして誰かは仕うまつらむと、人びと思ひたるを、ねむごろに院には思しのたまはせけり。

  to, Miyasumdokoro ni mo kikoye tamahi ki. Saredo, "Yamgotonaki hitobito saburahi tamahu ni, kazukazu naru ohom-usiromi mo naku te ya." to obosi tutumi, "Uhe ha, ito atusiu ohasimasu mo osorosiu, mata mono-omohi ya kuhahe tamaha m." to, habakari sugusi tamahi si wo, ima ha, masite tare kaha tukaumatura m to, hitobito omohi taru wo, nemgoro ni Win ni ha obosi notamahase keri.

 と、御息所にも申し上げあそばした。けれども、「高貴な方々が伺候していらっしゃるので、大勢のお世話役がいなくては」とご躊躇なさり、「院の上は、とても御病気がちでいらっしゃるのも心配で、その上物思いの種が加わるだろうか」と、ご遠慮申してこられたのに、今となっては、まして誰が後見を申そう、と女房たちは諦めていたが、懇切に院におかれては仰せになるのであった。

 と宮のことを、故人の御息所へお申し込みになったこともあるのである。御息所のほうでは院に寵姫ちょうきが幾人も侍している中へ、後援者らしい者もなくて行くことはみじめであるし、院が始終御病身であることも、母の自分と同じ未亡人の悲しみをさせる結果になるかもしれぬと院参を躊躇ちゅうちょしたものであったが、今になってはましてだれが宮のお世話をして院の後宮へなどおはいりになることができようと女房たちは思っているのである。院のほうでは御熱心に今なおその仰せがある。

287 やむごとなき人びと 以下「御うしろみもなくてや」まで、御息所の心中。

288 主上はいとあつしう 以下「思ひや加へたまはむ」まで、再び御息所の心中。「主上」は朱雀院をさす。

289 人びと思ひたるを 大島本は「おもひたるを」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『古典セレクション』は諸本に従って「思ひたゆるを」と校訂する。

 大臣、聞きたまひて、「院より御けしきあらむを、引き違へ、横取りたまはむを、かたじけなきこと」と思すに、人の御ありさまのいとらうたげに、見放たむはまた口惜しうて、入道の宮にぞ聞こえたまひける。

  Otodo, kiki tamahi te, "Win yori mikesiki ara m wo, hikitagahe, yokodori tamaha m wo, katazikenaki koto." to obosu ni, hito no ohom-arisama no ito rautage ni, mi hanata m ha mata kutiwosiu te, Nihudau-no-Miya ni zo kikoye tamahi keru.

 内大臣は、お聞きになって、「院からご所望があるのを、背いて、横取りなさるのも恐れ多いこと」とお思いになるが、宮のご様子がとてもかわいらしいので、手放すのもまた残念な気がして、入道の宮にご相談申し上げになるのであった。

 源氏はこの話を聞いて、院が望んでおいでになる方を横取りのようにして宮中へお入れすることは済まないと思ったが、宮の御様子がいかにも美しく可憐かれんで、これを全然ほかの所へ渡してしまうことが残念な気になって、入道の宮へ申し上げた。こんな隠れた事実があって決断ができないということをお話しした。

290 大臣聞きたまひて 源氏、藤壺に相談して、斎宮を横取りして冷泉帝後宮に入内させる。

291 院より御けしきあらむを 以下「かたじけなきこと」まで、源氏の心中。「御けしき」は朱雀院から齋宮に入内要請の意向をさす。「たまは」尊敬の補助動詞は朱雀院に対する敬意。客体を敬った用い方。『集成』は「そのお心に背いて、斎宮を横取りなさったりしては、恐れ多いこと」。

 「かうかうのことをなむ、思うたまへわづらふに、母御息所、いと重々しく心深きさまにものしはべりしを、あぢきなき好き心にまかせて、さるまじき名をも流し、憂きものに思ひ置かれはべりにしをなむ、世にいとほしく思ひたまふる。この世にて、その恨みの心とけず過ぎはべりにしを、今はとなりての際に、この斎宮の御ことをなむ、ものせられしかば、さも聞き置き、心にも残すまじうこそは、さすがに見おきたまひけめ、と思ひたまふるにも、忍びがたう。おほかたの世につけてだに、心苦しきことは見聞き過ぐされぬわざにはべるを、いかで、なき蔭にても、かの恨み忘るばかり、と思ひたまふるを、内裏にも、さこそおとなびさせたまへど、いときなき御齢におはしますを、すこし物の心知る人はさぶらはれてもよくやと思ひたまふるを、御定めに」

  "Kaukau no koto wo nam, omou tamahe wadurahu ni, haha-Miyasumdokoro, ito omoomosiku kokorohukaki sama ni monosi haberi si wo, adikinaki sukigokoro ni makase te, sarumaziki na wo mo nagasi, uki mono ni omohi oka re haberi ni si wo nam, yo ni itohosiku omohi tamahuru. Konoyo nite, sono urami no kokoro toke zu sugi haberi ni si wo, imaha to nari te no kiha ni, kono Saiguu no ohom-koto wo nam, monose rare sika ba, samo kiki oki, kokoro ni mo nokosu maziu koso ha, sasuga ni mi oki tamahi keme, to omohi tamahuru ni mo, sinobi gatau. Ohokata no yo ni tuke te dani, kokorogurusiki koto ha mi kiki sugusa re nu waza ni haberu wo, ikade, naki kage nite mo, kano urami wasuru bakari, to omohi tamahuru wo, Uti ni mo, sakoso otonabi sase tamahe do, itokinaki ohom-yohahi ni ohasimasu wo, sukosi mono no kokoro siru hito ha saburaha re te mo yoku ya to omohi tamahuru wo, ohom-sadame ni."

 「これこれのことで、思案いたしておりますが、母御息所は、とても重々しく思慮深い方でおりましたが、つまらない浮気心から、とんでもない浮き名までも流して、嫌な者と思われたままになってしまいましたが、本当にお気の毒に存じられてなりません。この世では、その恨みが晴れずに終わってしまったが、ご臨終となった際に、この斎宮のご将来を、ご遺言されましたので、信頼できる者とかねてお思いになって、心中の思いをすっかり残さず頼もうと、恨みは恨みとしても、やはりお考えになっていてくださったのだと存じますにつけても、たまらない気がして。直接関わりあいのない事柄でさえも、気の毒なことは見過ごしがたい性分でございますので、何とかして、亡くなった後からでも、生前のお恨みが晴れるほどに、と存じておりますが、主上におかせられましても、あのように大きうおなりあそばしていますが、まだご幼年でおいであそばしますから、少し物事の分別のある方がお側におられてもよいのではないかと存じましたが、ご判断に」

 「お母様の御息所はきわめて聡明そうめいな人だったのですが、私の若気のあやまちから浮き名を流させることになりました上、私は一生恨めしい者と思われることになったのですが、私は心苦しく思っているのでございます。私は許されることなしにその人を死なせてしまいましたが、くなります少し前に斎宮のことを言い出したのでございます。私としましては、さすがに聞いた以上は遺言を実行する誠意のある者として頼んで行くのであると思えてうれしゅうございまして、無関係な人でも、孤児の境遇になった人には同情されるものなのですから、まして以前のことがございまして、亡くなりましたあとでも、昔の恨みを忘れてもらえるほどのことをしたいと思いまして、斎宮の将来をいろいろと考えている次第なのですが、陛下もずいぶん大人らしくはなっていらっしゃいますが、お年からいえばまだお若いのですから、少しお年上の女御にょごが侍していられる必要があるかとも思われるのでございます。それもしかしながらあなた様がこうするようにと仰せになるのにしたがわせていただこうと思います」

292 かうかうのことをなむ、思うたまへわづらふに 以下「御定めに」まで、源氏の藤壺への詞。最初の部分、「かうかうの事を」と間接話法的に要約されている。

293 さも聞き置き 『集成』は「私を、そのような、後事を託するに足る者と、かねて聞き置いて」。『完訳』は「さてはこの私を頼りにできる者と聞き置いていて」と訳す。

294 見聞き過ぐされぬわざにはべるを 主語は源氏。「れ」可能の助動詞。

295 すこし物の心知る人はさぶらはれてもよくやと思ひたまふるを 斎宮の冷泉帝後宮への入内を言う。「を」について、接続助詞、順接の意。また格助詞にも解せる。

296 御定めに--など 「御定めに」の下に「従ひはべらむ」などの語句が省略。『完訳』は「藤壺を強く説得しておきながら、相手に判断をまかせる巧みさに注意。事は藤壺の意志で運ぶ」と注す。

 など聞こえたまへば、

  nado kikoye tamahe ba,

 などと申し上げなさると、

 と言うと、

 「いとよう思し寄りけるを、院にも、思さむことは、げにかたじけなう、いとほしかるべけれど、かの御遺言をかこちて、知らず顔に参らせたてまつりたまへかし。今はた、さやうのこと、わざとも思しとどめず、御行なひがちになりたまひて、かう聞こえたまふを、深うしも思しとがめじと思ひたまふる」

  "Ito you obosiyori keru wo, Win ni mo, obosa m koto ha, geni katazikenau, itohosikaru bekere do, kano ohom-yuigon wo kakoti te, sirazugaho ni mawirase tatematuri tamahe kasi. Ima hata, sayau no koto, wazato mo obosi todome zu, ohom-okonahigati ni nari tamahi te, kau kikoye tamahu wo, hukau simo obosi togame zi to omohi tamahuru."

 「とてもよくお考えくださいました。院におかせられても、お思いあそばしますことは、なるほどもったいなくお気の毒なことですが、あのご遺言にかこつけて、知らないふりをしてご入内申し上げなさい。今では、そのようことは、特別にお思いではなく、御勤行がちになられていますので、このように申し上げなさっても、さほど深くお咎めになることはありますまいと存じます」

 「非常によいことを考えてくださいました。院もそんなに御熱心でいらっしゃることは、お気の毒なようで、済まないことかもしれませんが、お母様の御遺言であったからということにして、何もお知りにならない顔で御所へお上げになればよろしいでしょう。このごろ院は実際そうしたことに淡泊なお気持ちになって、仏勤めばかりに気を入れていらっしゃるということも聞きますから、そういうことになさいましてもお腹だちになるようなことはないでしょう」

297 いとよう思し寄りけるを 以下「思ひたまふる」まで、藤壺の返事。「を」について、『集成』は「ようこそお考え下さったことですが」と逆接の接続助詞に解して文を続け、『完訳』は「よくぞお気がつかれました」と間投助詞に解して文を結ぶ。

298 深うしも思しとがめじと思ひたまふる 『完訳』は「藤壺の判断の明快さは、源氏のような朱雀院に対する複雑な思念がないからであろう」と注す。

 「さらば、御けしきありて、数まへさせたまはば、もよほしばかりの言を、添ふるになしはべらむ。とざまかうざまに、思ひたまへ残すことなきに、かくまでさばかりの心構へも、まねびはべるに、世人やいかにとこそ、憚りはべれ」

  "Saraba, mikesiki ari te, kazumahe sase tamaha ba, moyohosi bakari no koto wo, sohuru ni nasi habera m. Tozamakauzama ni, omohi tamahe nokosu koto naki ni, kaku made sabakari no kokorogamahe mo, manebi haberu ni, yohito ya ikani to koso, habakari habere."

 「それでは、ご意向があって、一人前に扱っていただけるならば、促す程度のことを、口添えをすることに致しましょう。あれこれと、十分に遺漏なく配慮尽くし、これほどまで深く考えておりますことを、そっくりそのままお話しましたが、世間の人々はどのように取り沙汰するだろうかと、心配でございます」

 「ではあなた様の仰せが下ったことにしまして、私としてはそれに賛成の意を表したというぐらいのことにいたしておきましょう。私はこんなに院を御尊敬して、御感情を害することのないようにと百方考えてかかっているのですが、世間は何と批評をいたすことでしょう」

299 さらば御けしきありて 以下「はばかりはべれ」まで、源氏の詞。引用句がなく、間髪を置かず会話が展開する。主上の母藤壺からのご意向があって、の意。

300 数まへさせたまはば 帝の妃の一人として、の意。

301 もよほしばかりの言を 『集成』は「わきからお勧めする程度の」。『完訳』は「お口添えするだけのことに」と訳す。

302 世人やいかにとこそ 『完訳』は「源氏と斎宮が愛人関係かと世人が疑うのではないか、と懸念」と注す。

 など聞こえたまて、後には、「げに、知らぬやうにて、ここに渡したてまつりてむ」と思す。

  nado kikoye tama' te, noti ni ha, "Geni, sira nu yau ni te, koko ni watasi tatematuri te m." to obosu.

 などと申し上げなさって、後には、「仰せのとおり、知らなかったようにして、ここにお迎えしてしまおう」とお考えになる。

 などと源氏は申していた。のちにはまた何事も素知らぬ顔で二条の院へ斎宮を迎えて、入内じゅだいは自邸からおさせしようという気にも源氏はなった。

303 げに知らぬやうにて 前の「知らず顔に参らせたてまつりたまへかし」を受ける。

304 渡したてまつりてむと思す 「て」完了の助動詞、確述。「む」推量の助動詞、意志。源氏の強い意志を表すニュアンス。

 女君にも、しかなむ思ひ語らひきこえて、

  Womnagimi ni mo, sika nam omohi katarahi kikoye te,

 女君にも、このように考えていることをご相談申し上げなさって、

 夫人にその考えを言って、

305 女君にも 紫の君をさす。

306 しかなむ思ひ語らひきこえて 大島本は「しかなん思ひかたらひきこえて」とある。伏見天皇本が大島本と同文。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「しかなん思ふ。語らひきこえて」と校訂する。

 「過ぐいたまはむに、いとよきほどなるあはひならむ」

  "Sugui tamaha m ni, ito yoki hodo naru ahahi nara m."

 「お話相手にしてお過ごしになるのに、とてもよいお年頃どうしでしょう」

 「あなたのいい友だちになると思う。仲よくして暮らすのに似合わしい二人だと思う」

307 過ぐいたまはむに 以下「あはひならむ」まで、源氏の詞。斎宮を養女として迎え取ることを打ち明ける。

 と、聞こえ知らせたまへば、うれしきことに思して、御渡りのことをいそぎたまふ。

  to, kikoye sira se tamahe ba, uresiki koto ni obosi te, ohom-watari no koto wo isogi tamahu.

 と、お話し申し上げなさると、嬉しいこととお思いになって、ご移転のご準備をなさる。

 と語ったので、女王にょおうも喜んで斎宮の二条の院へ移っておいでになる用意をしていた。

308 うれしきことに思して 紫の君の心。この段の藤壺、紫の君の人物描写について、明石の君物語の段における人物描写に比較して、いささか大雑把で短絡的な語り方がなされている。『完訳』は「高貴な同年輩への期待。いささかの嫉妬もない」と注す。

第六段 冷泉帝後宮の入内争い

 入道の宮、兵部卿宮の、姫君をいつしかとかしづき騷ぎたまふめるを、「大臣の隙ある仲にて、いかがもてなしたまはむ」と、心苦しく思す。

  Nihudau-no-Miya, Hyaubukyau-no-Miya no, Himegimi wo itusika to kasiduki sawagi tamahu meru wo, "Otodo no hima aru naka nite, ikaga motenasi tamaha m?" to, kokorogurusiku obosu.

 入道の宮は、兵部卿の宮が、姫君を早く入内させたいとお世話に大騒ぎしていらっしゃるらしいのを、「内大臣とお仲が悪いので、どのようにご待遇なさるのかしら」と、お心を痛めていらっしゃる。

 入道の宮は兵部卿ひょうぶきょうの宮が、後宮入りを目的にして姫君を教育していられることを知っておいでになるのであったから、源氏と宮が不和になっている今日では、その姫君に源氏はどんな態度を取ろうとするのであろうと心苦しく思召した。

309 入道の宮 「兵部卿の宮の姫君を」以下「いかがもてなしたまはむ」までを飛び越えて、「心苦しく思す」に係る。

310 大臣の隙ある仲にていかがもてなしたまはむ 藤壺の心中、心配。

 権中納言の御女は、弘徽殿の女御と聞こゆ。大殿の御子にて、いとよそほしうもてかしづきたまふ。主上もよき御遊びがたきに思いたり。

  Gon-Tyuunagon no ohom-musume ha, Koukiden-no-Nyougo to kikoyu. Ohotono no miko nite, ito yosohosiu mote-kasiduki tamahu. Uhe mo yoki ohom-asobigataki ni oboi tari.

 権中納言の御娘は、弘徽殿の女御と申し上げる。大殿のお子として、たいそう美々しく大切にお世話なされている。主上もちょうどよい遊び相手に思し召されていた。

 中納言の姫君は弘徽殿こきでん女御にょごと呼ばれていた。太政大臣の猶子ゆうしになっていて、その一族がすばらしい背景を作っているはなやかな後宮人であった。陛下もよいお遊び相手のように思召された。

311 大殿の御子にて 権中納言の娘は祖父の太政大臣の養女となって入内。源氏物語では女御として入内するのは大臣または親王の娘で、大納言以下の娘は更衣として入内している。娘の格上げをはかったもの。

312 主上もよき御遊びがたきに思いたり 冷泉帝十一歳、弘徽殿女御十二歳。ちょうど良い釣り合い。

 「宮の中の君も同じほどにおはすれば、うたて雛遊びの心地すべきを、おとなしき御後見は、いとうれしかべいこと」

  "Miya no Naka-no-Kimi mo onazi hodo ni ohasure ba, utate hihinaasobi no kokoti su beki wo, otonasiki ohom-usiromi ha, ito uresika' bei koto."

 「宮の中の君も同じお年頃でいらっしゃるので、困ったお人形遊びの感じがしようから、年長のご後見は、まこと嬉しいこと」

 「兵部卿の宮の中姫君なかひめぎみも弘徽殿の女御と同じ年ごろなのだから、それではあまりおひな様遊びの連中がふえるばかりだから、少し年の行った女御がついていて陛下のお世話を申し上げることはうれしいことですよ」

313 宮の中の君も同じほどにおはすれば 以下「いとうれしかべいこと」まで、藤壺の詞。やや年嵩の斎宮入内を歓迎を表明する。そして、その文章が巻末まで一続きに続く。

 と思しのたまひて、さる御けしき聞こえたまひつつ、大臣のよろづに思し至らぬことなく、公方の御後見はさらにもいはず、明け暮れにつけて、こまかなる御心ばへの、いとあはれに見えたまふを、頼もしきものに思ひきこえたまひて、いとあつしくのみおはしませば、参りなどしたまひても、心やすくさぶらひたまふこともかたきを、すこしおとなびて、添ひさぶらはむ御後見は、かならずあるべきことなりけり。

  to obosi notamahi te, saru mikesiki kikoye tamahi tutu, Otodo no yorodu ni obosi itara nu koto naku, ohoyakegata no ohom-usiromi ha sarani mo iha zu, akekure ni tuke te, komaka naru mikokorobahe no, ito ahare ni miye tamahu wo, tanomosiki mono ni omohi kikoye tamahi te, ito atusiku nomi ohasimase ba, mawiri nado si tamahi te mo, kokoroyasuku saburahi tamahu koto mo kataki wo, sukosi otonabi te, sohi saburaha m ohom-usiromi ha, kanarazu aru beki koto nari keri.

 とお思いになり仰せにもなって、そのようなご意向を幾度も奏上なさる一方で、内大臣が万事につけ行き届かぬ所なく、政治上のご後見は言うまでもなく、日常のことにつけてまで、細かいご配慮が、たいそう情愛深くお見えになるので、頼もしいことにお思い申し上げていたが、いつもご病気がちでいらっしゃるので、参内などなさっても、心安くお側に付いていることも難しいので、少しおとなびた方で、お側にお付きするお世話役が、是非とも必要なのであった。

 と入道の宮は人へ仰せられて、前斎宮の入内の件を御自身の意志として宮家へお申し入れになったのであった。源氏が当帝のために行き届いた御後見をする誠意に御信頼あそばされて、御自身はおからだがお弱いために御所へおはいりになることはあっても、ながくはおとどまりになることがおできにならないで、退出しておしまいになるため、そんな点でも少し大人になった女御はあるべきであった。

314 さる御けしき聞こえたまひつつ 「聞こえ」の対象について、『集成』は「そういうご意向を源氏に申し上げなさっては」と「源氏」に解し、『完訳』は「そのようなご意向を帝に幾度もほのめかし申しあげなさって」と「帝」に解す。「つつ」は同じ動作の繰り返し。

315 頼もしきものに思ひきこえたまひて 主語は藤壺。

316 いとあつしくのみおはしませば 主語は藤壺。病気がちであるという。

317 心やすくさぶらひたまふこともかたきを 『集成』は「宮中は病を忌む上に、十分な療養(加持祈祷)ができないからである」と注す。